「紫式部の日記」に記された"明らかに異質な箇所" 突如手紙文体に、誰かに向けて書かれたもの?
東洋経済オンライン / 2024年12月1日 7時40分
そんなふうに、あれこれと評している自身の非礼さを「あるまじき批評をしてしまいましたね」(さもけしからずもはべることどもかな)と自らツッコミを入れながらも、筆は止まらないようだ。有名な清少納言の悪口もこのパートで書かれたものである。
そして式部自身が一度は人間関係がうまくいかず、宮仕えを断念したものの、「キャラ変」をして宮中に迎え入れられた経験から、理想の女房像についても言及している。
「よい雰囲気をまとい、総じて女性は穏やかで、少し心の持ちように余裕を持ち、落ち着いているのを基本としてこそ、品格も風情もその人の魅力となり、安心して見ていられるものです」
(さまよう、すべて人はおいらかに、すこし心おきてのどかに、おちゐぬるをもととしてこそ、ゆゑもよしも、をかしく心やすけれ)
このパート2は、ほかの箇所と比べて、明らかに様子が違う。ほかで書いたものが紛れ込んだのではないかとさえ言われている。
パート2の最後のほうには、こうも書いてある。
「お手紙ではうまく書き続けられませんが、良いことも悪いことも、世間の出来事も、私自身が体験したつらさも、残らず申し上げておきたかったのです」
(御文にえ書き続けはべらぬことを、良きも悪しきも、世にあること、身の上の憂へにても、残らず聞こえさせおかまほしうはべるぞかし)
やはり誰かへのメッセージのようだ。その相手については、自身の娘・大弐三位(賢子)だったのではないかといわれている。
賢子は長保元(999)年、もしくは長保2(1000)年頃に誕生。長和6(1017)年頃に母親を継いで彰子に出仕したとされている。
パート2で式部は中宮の彰子についても、その人柄について書き綴っている。このように評した。
「今は中宮様も、だんだん大人びて来られるに連れて、世の中のあるべき姿、人の心の良し悪し、出すぎたところや不足なところも全部見抜いていらっしゃいます」
(今はやうやうおとなびさせたまふままに、世のあべきさま、人の心の良きも悪しきも、過ぎたるも後れたるも、みな御覧じ知りて)
「今は」とあるように、かつての中宮・彰子はもう少し様子が違ったようで、もともとの性格について「何一つ不足なところはなく、上品で奥ゆかしくていらっしゃるのですが、あまりにも控え目な性格」と説明している。
彰子の本来持つ性格と、成長した今の姿まで伝えておけば、安心して出仕できるし、かつ、大きな失敗はしないのではないか。そんな伝える相手への気遣いもそこにはうかがえる。
最後は出家を考えながら宮仕えをしていた
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