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スガキヤ「ラーメン+ソフトクリーム」が定番の訳 塩気のあるラーメンの後に食べたくなる仕掛け

東洋経済オンライン / 2024年12月4日 9時30分

(写真)『なぜ、人はスガキヤに行くとホッとするのか?』より(撮影:上野英和)

終戦直後の1946年に名古屋市・栄で誕生したスガキヤ(運営:スガキコシステムズ)。看板商品のラーメンは「名古屋のソウルフード」とも呼ばれています。創業からまもなく80年を迎えようとしているスガキヤの強さの背景を、『なぜ、人はスガキヤに行くとホッとするのか?』より一部抜粋・再構成のうえご紹介します。

店の横顔は「甘味食堂」

初めてスガキヤを訪れてメニューを見ると、「ソフトクリーム」や「クリームぜんざい」「あんみつ」「ベリークリーム」などがあるのに気づく。

【写真を見る】スガキヤではラーメンの後を甘味でシメる客が多い

夏の時季には「いちご氷」「ラムネ氷」「宇治金時氷」なども揃い、ラーメン店にしては甘味が非常に多い。

「全売り上げの約1割、夏季は約2割を甘味メニューが占めています」(同社)

なぜ、ラーメン店なのに「甘味」が多いのか? その答えは、店の成り立ちに由来する。

1946年に名古屋の中心地・栄(名古屋市中区)に開業した店は、ぜんざい、パン、焼き芋など甘いものを提供していた。当初は屋号がなく、お客さんから “甘党の店”と呼ばれた。2年後の1948年にラーメンが加わり、屋号を「寿がきや」とした。

同社に残る資料には「お客様が向かいの中華料理店に通う姿を目にとめてラーメンを提供するようになった」という。つまり甘党の店→ラーメン店に進化したから、今でも甘味メニューが充実しているのだ。店の横顔は「甘味食堂」といえる。

ところで、なぜ戦後まもない創業時に甘味を提供したのか? 答えは、当時の消費者が欲していたからだ。ここからは生活文化としての検証だが、太平洋戦争中に食品が配給制となり、「贅沢は敵だ」のスローガンのもと、耐乏生活を強いられた国民は甘いものに飢えていた。

また、日本の喫茶文化の歴史と向き合うと、戦後に喫茶店が復興して隆盛となったのは昭和30年代以降の高度経済成長期(1955~1973年まで)からだ。それまでも人気店はあったが、東京などの大都会を除くと喫茶店の店舗数は少なく、当時の都市部の女子学生は「甘味処で友人とお茶をしていた」と聞く。

昭和の喫茶店で出されたケーキやプリンなどのスイーツは欧米由来だが、甘味処で出されるのは和スイーツが大半だ。食の欧米化が始まる十数年前、通称「甘党の店」は、時代が求めていたのだろう。

スガキヤの甘味は、どこか懐かしく、舌を噛みそうなメニューもない。「甘味食堂」の基本を踏まえ、おしゃれ系に振らないのだ。

ソフトクリームはあっさり味仕立て

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