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もはや理解不能「京大話法」夫婦の呆れた日常会話 どこまでも「そもそも」を突き詰めてしまう

東洋経済オンライン / 2024年12月14日 17時0分

堂々巡りの会話は「苦痛」ではなく、むしろ「当たり前」だという(写真:玄武/PIXTA)

ともに京都大学の出身で、20年以上生活をともにしている社会学者・鈴木洋仁氏夫妻は、日々の暮らしも「京大話法」に毒されているそうです。

晩ご飯の献立を相談していたはずが、いつの間にか「あらぬ方向」へと話が延々と続いてしまう。そんな夫妻の会話の一端を、鈴木氏の著書『京大思考』から、一部を抜粋・編集して紹介します。

「そもそも」論とは「そもそも」何を指しているのか

京大生は「そもそも」論が大好きだ。そう書いたが、いったい、京大生自体、「そもそも」どんな存在なのか。

NHKのエグゼクティブ・ディレクターの福原氏による、Xへの「少なくとも私がいたころはこんな話し方をする学生はいなかった」との投稿に、なぜ、「いなかった」と断言できるのか、と私は難癖をつけたことがある。

この批判めいた文句は、そのまま私に跳ね返る。

京大生は「そもそも」論が大好きである、となぜ断言できるのだろうか。さらに言えば、「そもそも」論とは「そもそも」何を指しているのか。学者、狭く考えても哲学や倫理学、あるいは経済学や社会学といったさまざまな学問は、「そもそも」を問う営みではないのか。

こう考えていくと、「京大生は『そもそも』論が大好き」という根拠は薄く見えるし、「そもそも」この文章そのものが成り立たないように思える。

しかし、それでも京大生らしさ「のようなもの」は、どこかにはあるのではないか。すでにおわかりのように、こうした議論というか、ぐるぐる回りが「そもそも」論であって、私が京大でしばしば体験してきたことだったのである。

まったくの私事でお恥ずかしいのだが、私は、京大の後輩と結婚している。在学中に知り合ったので、20年以上、生活を共にしている。日々の暮らしも、「京大話法」に毒されている。

たとえば、と書こうとした今、妻とした会話を再現しよう。

夫(私) きょうの夕ご飯は、カレーにしようと思うんだけど、甘口と、中辛とどっちがいい?

妻 Aちゃん(子どもの名前)次第じゃない?

私 Aちゃんは、たぶん甘口。

妻 じゃあ、選択肢はないよね……。

私 そもそも、夕ご飯はカレーでいいのかな?

妻 え……。

一時が万事、とまでは言わないものの、この部分を書こうとしていて、私がいつまでも、この「そもそも」論に拘泥しているところに気がついた。

いや、気がついた、と書いている時点で、ボケている。このボケぶりが、「そもそも」論へのこだわりに通じている。

もともとの話題からどんどん遠ざかる「京大話法」

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