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62歳で死去「藤原道長」栄華極めた"最期の日々" 死の直前には息子や娘が次々と亡くなった

東洋経済オンライン / 2024年12月14日 8時50分

京都御所(写真: Daikegoro / PIXTA)

今年の大河ドラマ『光る君へ』は、紫式部が主人公。主役を吉高由里子さんが務めています。今回は藤原道長の最期の日々のエピソードを紹介します。

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三后をすべて娘で占め、絶頂極める

1018年10月16日。藤原道長は、三女・藤原威子の立后(後一条天皇に入内)の日に「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の欠けたることもなしと思へば」との有名な歌を詠みます。

【写真で見る】道長の邸宅、土御門第跡

道長が三后(皇后・皇太后・太皇太后)をすべて自分の娘で占めるというまさに栄華を極めた時期でした。

しかし、華々しい生活の裏で、またもや道長に危機が忍び寄っていました。それは、これまでにも度々、道長を苦しめてきた病です。しかも、今回は発熱や怪我ではなく、目が見えにくくなるという症状でした。

先に紹介した歌を詠んだ翌日には、すでに他人の顔がよく見えないという状況だったのです。

日記『小右記』の著者・藤原実資は、道長と語り合っているときに、道長が「近くにいるそなたの顔も見えない」と述べたことを記しています。夜と昼の区別もつかぬほどの状態だったようで、道長の視力はかなり低下していました。お祓いをしてもらいましたが、効果はありません。

12月に入ると、「来年からは他人と対面の回数を減らす」とまで漏らすようになります。視力のみならず、気力も減退していたと言えましょう。12月下旬には、胸が苦しくなるという症状まで表れます。

年が明けた、1019年の2月。道長は「心神不覚、前後を知らず」という一時的な失神状態に陥ります。

道長がとうとう出家する

同年3月中旬にも、胸の病で発作が起きました。道長には前々から出家したいとの想いがありましたが、こうした症状(病)の連続に、とうとう出家を決断。同年3月21日、出家するのです(天台宗の僧侶・院源が戒師)。

場所は、道長の邸宅(土御門第)で、多くの公卿が参列しました。道長の法名は、行観(後に行覚)。藤原実資によると、道長の容貌は、老いた僧のようであったといいます。

道長は、月に数度は、後一条天皇(道長の外孫)のお顔を見たいと語っていたようなので、孫のことが可愛くて仕方なかったのでしょう。

そんな道長が出家した年には、いわゆる刀伊の入寇が起こります。女真族が対馬・壱岐を襲撃。壱岐守の藤原理忠ほか多くの島民が殺害されたのです。迅速な動きをする刀伊の軍勢でしたが、藤原隆家が率いる軍勢により、撃退されます。

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