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禅が教える「ずっと不安が減らない人」の根本原因 転がせば転がすほど、悩みは重く大きくなる

東洋経済オンライン / 2024年12月16日 10時0分

しかし青年は、暑い時も寒い時も掃除をして汗をかきました。そのうちに、心をとらえていた不安が和らいでいき、半年もしないうちに社会復帰できました。

考えることは大切、けれども、動くことも同じぐらい大切。文武両道の言葉の通り、 文と武、頭と身体がバランスよく働かなければ、人は前に進めないのです。

不安を転がさず、「今、この瞬間」を生きる。それができたら、人生の9割は所詮小さなことだと、らくに構えていられるでしょう。

もっとシンプルに、不安を「放っておく」ことから始めてみるのもよいでしょう。

私たち禅僧は「非思量(ひしりょう)」になることが大切だと教わります。

非思量とは、とらわれているものをなくし、心を無の状態にすることです。イライラもクヨクヨも、頭を空っぽにすれば消えゆくのみ。理屈としては、そういうことになります。

「でも『何も考えてはいけない』と思えば思うほど、考えてしまうんです。消そう消そうとしても、邪念で頭がいっぱいになるんです」

確かにその通りです。例えば「明日までに仕上げないといけない重要書類のことは絶対に考えないでください」と言われたら、その書類のことばかり思い浮かぶはず。

それは、イタズラするなと叱られた子供がかえってイタズラしたくなるのと同じ理屈です。イライラクヨクヨしたくない、穏やかに生きたいと思えば思うほど、イライラクヨクヨが長引くのも、こうした心の働きによるものなのでしょう。

「ああ、イライラしているな」だけでいい

第一、人間ならば、イライラするのもクヨクヨするのも当然のこと。

喜怒哀楽によって大きく心が揺れるのも、また当然のことです。そうでなくては、生きる喜びも、人間としての成長も味わえません。感情は、人間が生きている証そのものです。

ただし、そうした感情に心が囚われ、余計な不安や心配を抱えるようでは、いけません。せめて感情の揺れの幅を小さく、一度揺れてもすぐにニュートラルな状態に戻すよう努めましょう。

努めるといっても、「放っておく」だけでいいのです。「放っておく」とはつまり、頭に思い浮かんだ邪念を無理に振り払おうとしないこと。心に浮かんできた感情や考えには触らず、そのままにしておきましょう。さまざまな邪念が頭に浮かんできても、そのまま「ああ、邪念が浮かんでいるな」と感じるだけでよしとします。

そのうちに、邪念が少しずつ薄れていくのに気がつくはずです。

例えて言うなら、私たちの心は、静かな水面です。そして一時の邪念は、水面に投じられる石にあたります。石は水面をかき乱し、たくさんの波紋をつくるでしょう。

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