1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 社会
  4. 社会

アサド政権崩壊後のリスクを排除するイスラエル 混迷を深める中東情勢、イスラエルの出方は

東洋経済オンライン / 2024年12月17日 8時0分

2024年12月11日水曜日、ゴラン高原から見たシリアとの緩衝地帯沿いの国境フェンスにいるイスラエルの戦車と兵士(写真・2024 Bloomberg Finance LP)

2024年12月8日、シリアのアサド政権が崩壊した。シリアの反政府イスラム武装勢力が11月下旬にシリア北部のアレッポを制圧し、2週間足らずで首都ダマスカスを「無血開城」させた。

1971年、ハーフィズ・アサドが大統領に就任し、2000年に息子バッシャールに引き継がれた半世紀以上にわたるアサド親子の独裁政権が終焉を迎えた。

ジャウラニとは何者か

政権を打倒した主勢力はシャーム解放機構(HTS)と呼ばれるグループ。国際テロ組織アルカイダが源流で、アメリカをはじめ多くの国がテロ組織に指定している。指導者はアブ・ムハンマド・ジャウラニ。アルカイダのシリア支部ヌスラ戦線の司令官だった人物である。

HTSは「国民へ確実にサービスを提供できるよう、円滑で組織的な権限移譲」を目指すとしているが、そう単純ではない。シリアには異なる関心を持つグループが多数存在する。

反政府勢力の中には自由シリア軍やイスラム戦線といった組織も存在する。こうしたあらゆる勢力をまとめるのが一筋縄ではいかないのは想像に難くない。

隣国イラクを例に見ると、2003年にサダム・フセイン政権が崩壊した後、様々な勢力間の内部紛争が頻発し、治安の混乱を引き起こした。そして最終的にはイスラム国(IS)など過激派勢力の台頭を許すことになった。

微妙な力関係で成り立つ中東社会は、大小の石を高く積み上げた石塚にたとえられる。1つの石が抜けて空白ができると均衡が崩れて、石塚自体が崩れ落ちてしまう。

そもそもシリアは「アラブの春」が波及した2011年に内戦が勃発し、様々な外国勢力が入り込み、泥沼化して今に至っている。

ジャウラニはそんなシリアに平和をもたらす「解放者」となりうるのか。

ジャウラニは1982年、父親の仕事で滞在していたサウジアラビアで生まれた。2001年のアメリカ同時多発テロでイスラム主義イデオロギーに惹かれ始め、2003年にアルカイダに参加。アメリカ軍と戦うため、イラクに移住した。

「西側諸国を攻撃する意図はない」

爆弾を仕掛けたかどでアメリカ軍に逮捕され、収監された収容所で注目されるようになる。釈放された後、内戦が始まったシリアに戻り、HTSの前身ヌスラ戦線を設立。アメリカはジャウラニを国際テロリストに指定し、1000万ドルの報奨金をかけた。

ジャウラニは、2015年頃から「西側諸国を攻撃する意図はない」と宣言し、態度を徐々に軟化させていく。2017年、シリア北西部で他勢力を制圧すると、地域の住民を支配した。反対派勢力を力で弾圧し、迫害したという報告もある。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

複数ページをまたぐ記事です

記事の最終ページでミッション達成してください