ブルトレから新幹線まで「食堂車」黄金期の記憶 かつては全国を走っていた「鉄道の旅の楽しみ」
東洋経済オンライン / 2024年12月18日 6時30分
ハイグレード化もつかの間…
1970年代半ば以降、「あさかぜ」をはじめとする九州行きのブルトレは新型の24系25形客車に置き換えられ、国鉄末期になると寝台のカテゴリーも個室A寝台やシャワー室などを備えた豪華志向になりつつあった。
その流れの中、「あさかぜ」の食堂車も1986年11月にグレードアップされ、オリエント急行をイメージさせるハイグレードなインテリアとなり、料理のメニューも高級志向となった。
だがそれもつかの間、JR発足後しばらくすると列車の合理化が進み、ついに1993年3月のダイヤ改正では、すべての九州ブルトレが食堂車の営業を休止してしまった。
食堂車は客車寝台特急だけでなく、在来線の電車・気動車による特急にも連結されていた。
「あさかぜ」誕生の同年、1958年11月に東京―大阪・神戸間に誕生した151系電車によるビジネス特急「こだま」は軽食堂のビュフェだったが、1960年6月に特急「つばめ」「はと」が151系に置き換えられた際、食堂車サシ151形を連結。1960年12月に登場した上野―青森間を結ぶ80系気動車特急「はつかり」にはキシ80形食堂車が連結され、寝台特急、電車特急、気動車特急の食堂車が出そろった。
全国に特急網「食堂車黄金期」の到来
1968(昭和43)年10月1日の国鉄白紙ダイヤ改正、いわゆる「ヨンサントオ」で全国に特急列車が大増発されると、食堂車を連結した長距離特急列車が各地を走るようになった。まさに食堂車の黄金期の到来であった。
例を挙げると、上野発着の東北方面特急「ひばり」「やまびこ」「いなほ」「あいづ」「はつかり」や、北陸特急の「雷鳥」「しらさぎ」「北越」「白山」などはすべて食堂車を連結していた。筆者が思い出深いのは上野―金沢間を結んだ特急「白山」だ。日本列島を横断する車窓の眺めは抜群で、ほぼ全行程を食堂車内から満喫した。
【黄金期の特急食堂車内をもっと見る】583系「雷鳥」、485系「白鳥」「しらさぎ」食堂車で働くクルーたちの姿。特急「おおぞら」ではほたて定食が味わえた
これらの特急は多くがその後「エル特急」化され、1978年春のダイヤ改正ではヘッドマークが「絵入り」になり全盛を極めたが、一方で食堂車は人手不足などを理由に廃止が進んだ。昼行特急の食堂車は国鉄末期の1986年で消滅した。
新幹線は、1964年10月の開業当初はビュフェだけの営業であったが、1975年3月の山陽新幹線博多開業を控えた1974年から、一部列車に食堂車が連結され営業を開始した。博多開業以降は「ひかり」の全列車で食堂車の営業が開始された。
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