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ブルトレから新幹線まで「食堂車」黄金期の記憶 かつては全国を走っていた「鉄道の旅の楽しみ」

東洋経済オンライン / 2024年12月18日 6時30分

この際に投入された0系の食堂車は当初、山側(富士山側)が壁を挟んで通路になっていたが、乗客から「せっかくの富士山が見えない」と苦情が寄せられたことで壁に窓を設ける改造が行われ、食事中に富士山の眺めが楽しめるようになった。

当時の食堂車は複数の会社が営業しており、日本食堂、帝国ホテル列車食堂、ビュフェとうきょう、都ホテルなど一流ホテルも参加して味を競っていた。時刻表には列車ごとの食堂車営業会社が明記されていて、乗客は好みの食堂車を選んで利用することもできた。

食堂車新時代、100系新幹線や「北斗星」

1985年10月1日、東海道・山陽新幹線のニューフェイスとして国鉄初の2階建て車を連結した100系が登場した。食堂車は2階建てとなり、車窓の風景をワイドに眺めながら食事が楽しめた。

筆者も国鉄時代の運行開始から「グランドひかり」の食堂車廃止まで「列車追跡」でルポを何度も担当した。

とくに印象深いのは2000年2月、同年春のダイヤ改正で廃止となる「グランドひかり」食堂車を取材した『鉄道ジャーナル』誌での博多―東京間のルポだ。食堂車に居続けてメニューをできるだけ味わうというミッションだったが、居合わせた鉄道ファンのグループの協力によって全メニューの取材が達成できたことは懐かしい思い出だ。

一方、それまでの食堂車が衰退する中で、JR発足後の1980年代後半から食堂車の代名詞となったのが寝台特急の豪華食堂車だ。

そのはしりとなったのは1988年3月、青函トンネル開業に合わせて上野―札幌間で運行を開始した「北斗星」で、JR東日本担当編成、JR北海道担当編成でそれぞれインテリアが異なる食堂車「グランシャリオ」を連結し、予約制でフランス料理のフルコースディナーや懐石御膳が味わえた。

1989年7月には大阪―札幌間を結ぶ「トワイライトエクスプレス」が営業運転を開始し、こちらも同じく予約制のフルコースディナーを味わえる食堂車「ダイナープレヤデス」を連結。さらに1999年7月には、オールA寝台2人用個室の「カシオペア」が登場し、2階建て食堂車では一流レストランの雰囲気を楽しめた。

筆者は2001年1月に『旅と鉄道』誌で「カシオペアの食を楽しむ」としてディナーと朝食を取材した。が、盛岡の手前で「奥中山付近豪雪で不通」の情報が入り、朝食は味わえたものの盛岡駅で昼過ぎまで停車。予定外の昼食は「炊き出し」のおにぎりが配られた。ディナーと朝食の取材自体はできたものの、その後新幹線で東京に戻ることになってしまった。豪華列車で炊き出しという、珍しい体験ではあった。

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