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私たちはなぜ「テレビ報道」に翻弄されるのか ニュースと「ワイドショー」の境目がなくなった

東洋経済オンライン / 2024年12月24日 11時0分

私たちはもう、ニュースだけを見て判断しないほうがいい(画像:metamorworks/PIXTA)

マスメディアにもリテラシーが必要だ

「和歌山のドンファン事件」の裁判で元妻に無罪判決が出たことに驚いた人は多いだろう。この事件では逮捕前から元妻の疑惑が取り沙汰され、逮捕された時は「やっぱり」と思った。怪しい状況証拠だらけと報じられ、私たちも元妻が犯人である前提で語っていた。

それが無罪。裁判員の1人が会見で判決について語り、どう考えたかを非常に真摯に説明してくれた。

「有罪の目で見ると有罪、無罪の目で見ると無罪に見えてくる」

この言葉は、状況証拠で判決を決める難しさを端的に示していた。「疑わしきは罰せず」の考え方に沿った、実に正しい判決だったと思う。もちろん、この後で上告され判決が覆る可能性はあるが、決定的証拠がないのに元妻を犯人と決めつけてきた私たちは浅はかだった。

さらに考えさせられたのは、この一言だった。

「ニュースや報道でみる事件と、裁判員としてみる事件では全然違うので、先入観は怖いなと思った」

マスメディアというフィルターを通して社会を見る私たちの危うさを見事に表現していると思った。私たちはもう、ニュースだけを見て判断しないほうがいい。ネットにはリテラシーが必要とよく言うが、実はマスメディアにもリテラシーが必要だ。

「逮捕=犯罪者」ではない

前々から感じていたのだが、本来は「逮捕=犯罪者」ではないのに、テレビでは毎日さまざまな容疑者が逮捕される姿が伝えられ、それを見た私たちはその容疑者は犯罪者だと決めつける。だが、逮捕された人物が犯罪を犯したと決まったわけではない。その後、不起訴になることもある。起訴されると日本では99.9%の確率で有罪になるといわれるが、私たちはつい最近「袴田事件」で何十年も犯罪者と思っていた人が、無罪になるのを見た。小さな犯罪でテレビで逮捕される場面が放送され、その後不起訴になったり裁判で無罪になってもずっと犯罪者扱いされる人は多いはずだ。犯罪者の断定を簡単にしてはならないと、私たちは自戒せねばならない。

兵庫県知事についての報道でもまさに、斎藤知事は悪人と思えばそう見えるし、そうではないと思うとそうではないように見える。兵庫県民の多くが「ニュースや報道で見る事件と違う」と選挙期間中に考えを変えたから斎藤氏が再選された。そんな人々は「テレビ報道にだまされた」と感じている。

BPO(放送倫理・番組向上機構)には毎月視聴者の意見が数多く寄せられる。先日公開された11月の意見は兵庫県知事選挙についてが多かったという。BPOのサイト上で公開されているものをいくつか紹介しておく。

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