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「19浪で九州大」心病まずに挑戦し続けられた理由【再配信】 共通一次とセンター20回挑戦、学費工面の日々

東洋経済オンライン / 2024年12月27日 8時0分

写真はイメージです(撮影:今井康一)

【自身も9年の浪人生活を経て、早稲田大学に合格した経験のある濱井正吾さんが、いろんな浪人経験者にインタビューし、その道を選んでよかったことや頑張れた理由などを追求する連載『浪人したら人生「劇的に」変わった』。2024年に配信した記事の中でも、特に反響の大きかったものをお届けします。こちらは2024年8月25日に公開した記事の再配信です。】

今回は他大学に進学したり、就職したりすることもなく、共通一次とセンター試験を20回受験して「純粋19浪」を経験し、九州大学工学部電気情報工学科に合格した山田洋(ひろし)さんにお話を伺いました。

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就職も他大への進学もせず「純粋に19浪」

今まで、この連載では10年を超える浪人を経て、挑戦を続けてきた人たちを紹介してきました。

【写真】19浪を経験した山田さん。今は塾で子どもたちに受験指導と浪人時代の経験を伝えている。

10年以上の場合、多くの人は浪人期間の途中でどこかの大学に入ったり、会社で働きながら受験勉強を続けていました。

しかし、今回お話をお聞きした山田洋(ひろし)さんは、どこにも進学も就職もせず、「アルバイトで生計を立てながら」共通一次とセンター試験を20年間受け続けて、純粋に19浪して、九州大学に入った方です。

19浪ともなると、1人の赤ん坊が現役の大学生になるまでの期間、浪人し続けてきたとも言えるでしょう。今回はその壮絶な浪人人生に迫ります。

山田さんは1966年、鹿児島県鹿児島市生まれ。10歳で父親が亡くなってからは母子家庭で育ちました。小さいころの山田さんは、活発で、人と話すのが好きな子どもだったようです。

「至って普通だったと思います。遊ぶことが大好きで、勉強はほぼしない子どもでしたね」

小学校・中学校時代前半の成績は中の中くらいでしたが、中学2年から塾に通い始めると、急激に成績が伸び始めました。

ここで「勉強の楽しさに目覚めた」山田さんは、地元の進学校である鹿児島中央高等学校に進学します。しかし、優秀な人たちが多く通う高校だったため、進学してからの成績は中の下で推移しました。

「高校では柔道部に入って部活を頑張っていました。でも成績はよくありませんでしたね。英語だけは得意で平均くらいの成績はありましたが、模試の偏差値は50もいかず、どこの大学もいちばん下のE判定だったと思います」

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