スズキを巨大企業にした鈴木修氏「娘婿の意地」 「中小企業のおやじ」が見せた経営への執念
東洋経済オンライン / 2025年1月7日 8時0分
つまり、「娘婿の意地」は、ファミリービジネス・スズキの企業文化として定着していた節がある。表層の競争力が軽自動車をはじめとする小さな車を創るノウハウや、大手が進出しない海外市場で生き残る知恵であるとすれば、深層の競争力は「娘婿の意地」といえよう。
5代目の戸田昌男氏と6代目の津田紘氏は非創業家出身。2人のサラリーマン社長が誕生した後も鈴木修氏は、2000年6月から代表取締役会長(CEO)、2008年12月から代表取締役会長兼社長(CEO&COO)、2015年6月から代表取締役会長(CEO)を務め、実質上のトップであり続けた。
2008年に鈴木修氏が社長を再び兼任することになったのは、2つの不運に襲われたからだ。1つは、次期(7代目)社長と目されていた小野浩孝取締役専務(鈴木修氏長女の夫)が2007年12月12日に膵臓がんのため52歳の若さで急逝したこと。もう1つは、津田氏が体調不良で社長を辞任してしまったというアクシデントだ。
結果、鈴木修氏の長男である鈴木俊宏氏がスズキで初めて血縁の社長になった。俊宏氏は1994年にスズキに入社。2011年に副社長に就任していた。鈴木修氏は2016年6月にCEO職を辞任、代表取締役会長のみを務め、2021年6月から相談役になっていた。
【2024年1月7日12時50分追記】初出時、鈴木俊宏氏の経歴に誤りがありましたので、上記の通り訂正しました。
スズキの歴史において鈴木修氏は、長きにわたり強いリーダーシップを発揮した「中興の祖」であり、最大の功労者だった。専務時代の1975年に自動車排出ガス規制への対応が遅れたため、トヨタ自動車の力を借りて建て直す。社長退任後はアルト(1979年発売)やワゴンR(1993年発売)などのヒット商品を生み、軽自動車市場の雄としての地位を占めるようになった。
さらに、海外でも積極的に事業を展開した。大手が出て行かない市場に進出すれば首位になれると考え、日本企業としては、いち早くインドやハンガリーへ本格進出し、現在も両国自動車市場でトップシェアを誇る。
豊田章男会長にとっても「憧れのおやじさん」
鈴木修氏が「憧れのおやじさん」だったトヨタ自動車の豊田章男会長は、「インドにおいては、スズキこそが大企業であり、トヨタは中小企業。地域によっては、『中小企業のおやじ』と言うのは気をつけてください、などと話ができるくらい親しくさせていただきました」と振り返る。
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