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意外と知らない「神の国」日本が変遷した深い経緯 大人のための日本の「そもそも学」

東洋経済オンライン / 2025年1月11日 13時0分

神道は私たちの日常生活と密接な関係を持っていますが、知られていないことがたくさんあります(写真:Fast&Slow/PIXTA)

日本人は、「あなたは神道の信者ですか?」と聞かれたら、かなりの人が「いいえ」と答えるだろう。しかし、初詣や七五三、各種祈願などで神社を訪れる人は少なくないはずで、ふと考えれば、「神道」の施設である神社には、信者でなくとも誰もが気軽に足を運んでいる。神道は、それだけ私たち日本人にとって身近な存在であるわけだが、今のこの立ち位置に至るまでには、実は“戦後の事情”も深く絡んでいたのだという。新刊『世界の「なぜ?」が見えてくる 大人の世界史 超学び直し』の著者で、世界情勢など幅広いテーマの教養知識を解説して多くの視聴者に支持されているYouTubeチャンネル「大人の学び直しTV」の配信者・すあし社長に、神道とその背景にある「社会人として知っておくべき経緯」をわかりやすく解説してもらった。

そもそも「神道」とは?

「神道(しんとう)」とはいったい何なのか、まずはその歴史から簡単に振り返ってみましょう。神道は、古代から続く日本の民族宗教ともいえ、その原点は紀元前にまで遡ります。当時の日本人は、動植物だけでなく、岩や滝などのような生命のない自然をも神聖なものとして信仰していました。

【画像】神道の神々は「八百万(やおよろず)の神」と呼ばれますが・・・

たとえ目に見えなくとも「神」の存在をそれぞれに見いだしていたわけです。その他には、偉人や先祖も神として祀られました。このように、多種多様の神がいるという意味で、神道の神々は「八百万(やおよろず)の神」と呼ばれます。

その昔、日本では、神とつながれるとされた占い師や、神聖な儀式を行う人たちが重宝されていました。春は豊作を、夏は雨風の被害をおさめることを、秋は収穫を……。自然環境に左右されやすい農耕生活のため、神への祈りが重要だったからです。

そして、この大事な祈りの場が、現代でいう「お祭り」なのです。今でも多くの人が気軽に神社に行き、地域のお祭りに参加したり、見物したりします。神への祈りの儀式は、現在に至るまで脈々と受け継がれているわけです。 

このように、神道は私たちの日常生活と密接な関係を持っています。しかし、神道にはそれをつくり出した教祖もいませんし、キリスト教の『聖書』やイスラム教の『クルアーン』のような聖典もありません。こうした背景から「神道は宗教ではない」とさえ言われることすらあるのです。

紆余曲折の歴史

では、そもそもいつから神道が宗教と考えられるようになったのか? そこには、西暦538年に日本に入ってきた「仏教」が深く関わっていたようです。仏教に対応する概念として初めて、「神道」と名づけられたからです。

その後、神道はさまざまに展開していくことになります。当時は中国から膨大な量の書物が日本に渡ってきたことから、仏教だけでなく「道教」の影響も受けているといわれます。奈良時代からは「神仏習合」、つまり「神と仏はどちらも日本人の信仰の対象である」との考えが主流となり、日本では神社もお寺も同じように共存していたという歴史がありました。

大きな転換期が訪れたのは、200年以上にわたる鎖国が終わった19世紀後半のこと。欧米の文化や価値観に触れる中で、日本の政治家たちは「日本にも精神的な規範が必要だ」と考えました。そこで注目したのが、日本人の日常生活に深く浸透していた神道で、この神道の考えを広めるために「神社とお寺は別ものだ」と整理し始めたのです。

その上で、国が神社を管理しやすいように統合するなどして国家の支配下に置くことにしました。これがいわゆる「国家神道」の始まりでした。

明治時代になると、日本は国力強化のため海外へと進出します。北米や南米、ハワイ、中国大陸、東南アジアなどにも日本人が住み始めると、各地に神社がつくられました。これらは「海外神社」と呼ばれ、世界各地に約1600カ所もあったといわれています。それほど、神々や神社は日本人にとっての心の拠り所として大切な存在だったのです。

しかし、しばらくするとまたもや大きな転機が訪れます。日本は1945(昭和20)年に第二次世界大戦で敗北しますが、この敗北がきっかけとなり、「国家神道」は解体されることになりました。アメリカのGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)は、当時の日本人をここまで勇敢に戦わせた根本が国家神道にあるとし、その信仰的脅威を取り除こうと考えたわけです。

GHQによる占領政策とは?

前述のとおり、日本は第二次世界大戦で敗れました。このときには戦勝国からさまざまな条件を突きつけられています。ですから、私たちの生活の基礎は、その条件に合わせてつくられたといっても過言ではありません。

世界大戦終結後、日本をこれからどう占領していくのか、その条件を調整していた組織が「GHQ」で、日本語での正式名称は「連合国軍最高司令官総司令部」といいます。GHQは、日本国民に直で指示を出す「直接統治」ではなく、日本のトップに対して指示する「間接統治」を行いました。

間接統治ならば、表向きは日本政府が指示を出しているように見えるので混乱が起きにくく、GHQが表立って批判を受ける心配も少ないため都合がよかったのです。

では、GHQはどんな政策で日本を占領・支配していったのか。GHQには大きく2つの目標がありました。それは「非軍事化」と「民主化」です。

「非軍事化」というのは文字通り、日本から軍隊をなくし、二度と戦争ができないようにするというもの。GHQは、軍事関係施設や軍需工場を破壊するとともに、陸軍、海軍を解散させました。しかし、GHQはそれだけでは不十分と考えます。その軍隊を支える構造にも問題があるとしたのです。

例えば「財閥解体」もその一環でした。財閥は非常に大きな力を持った企業グループのことですが、莫大な資金と多岐にわたる企業を経営し、戦闘機なども製造していました。あまりに強大な財力を持っていたため、政府の決定にまで影響をおよぼしていたのです。

そして、GHQは日本の民主化を進めるため、体制面だけでなく、精神面の改革も行いました。その一環が「国家神道の解体」でした。

神や神社に深く寄り添う人生

「国家神道」では、「日本は神の国」という考え方で、天皇を現人神(あらひとがみ)とみなしていました。そこでGHQは、昭和天皇に「人間宣言」をさせ、天皇の神格化を否定。これは「神の国だから戦争に負けない」という考え方を払拭し、特攻隊のような極端な戦意を抑制するためでもあったのです。

以上のように、神道の成り立ちはもちろん、GHQの管理下にあった戦後事情も経て、現代日本人の宗教観は複雑に多様化しました。とはいえ、私たちの人生は神や神社に深く寄り添っており、「初詣」「七五三」「結婚式」など、知らず知らずのうちに神道のもとで一生を過ごしているともいえます。

生活が農耕中心ではなくなっても、日本人は人生における大事な局面でよく神社にお参りします。それはおそらく、かつてGHQによる制御を受けたりしてもなお、古くから神にすがるような思いで生きてきた日本人のDNAが、今なお私たちに受け継がれているということなのかもしれません。

すあし社長:ユーチューバー

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