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田沼意次を重用「徳川家治」どんな人物だったのか 大河ドラマ「べらぼう」での描かれ方にも注目

東洋経済オンライン / 2025年1月12日 13時0分

しかし、吉宗の英才教育は、息子の家重のときと同様に、空振りに終わったといってよい。有望視された家治だったが、将軍として目立った功績を残すことはなかった。いったい、なぜなのだろうか。

思うに、卓越したリーダーというものは、幼少期に苦労して、どこかコンプレックスを抱えている場合が多い。江戸幕府を開いた初代将軍の家康は、幼少期に厳しい人質生活を送り、その後も尾張の織田信長や甲斐の武田信玄などの有力大名に翻弄されつつ、熾烈な戦国時代を生き抜いた。家康は「人たらし」と言われるほど、数多くの大名を魅了したが、その人間力は苦境のなかで磨かれたものに違いない。

また、祖父の吉宗は、江戸城内に支持基盤を持っていなかったため、やはり苦心している。有名な目安箱の設置は、不満を持つ庶民と直接つながることで、吉宗は求心力を高めようとしたともいわれている。

それに比べると、家治はそつなく育てられすぎたのかもしれない。原動力となる挫折やコンプレックスがなかったため、いまいち伸び悩んでしまったのではないだろうか。

だが、そんな家治だからこそ、温厚で真っ直ぐな性格に育ったともいえる。『徳川実紀』によれば、武家屋敷や町屋が焼失したときに、側近たちが興味本位で見に行こうとするのを、家治はこう言ってとがめたという。

「火災は民の憂いの大きなもの。民の憂いは私の憂いである。決して興のあることだと思ってはならぬ」

その後、家治は自ら防火の指揮をとった。前述した逸話と同様に、どうもできすぎた話だ。それでも、温厚な人柄を裏づける逸話として広まった背景を踏まえれば、家治は少なくとも横暴な将軍ではなかったのではないだろうか。

家治は、強いリーダーシップは持ちえなかった。だが、それと同時に、権力者として暴走することもなく、優秀な側近に政務を任せ続けた。そんな家治の治世で、側近として政務を任されて、改革手腕を発揮したのが、田沼意次である。

「べらぼう」で家治はどう描かれるのか?

大河ドラマ『べらぼう』の初回放送では、渡辺謙が演じる田沼意次が、横浜流星演じる蔦屋重三郎に「お前は何かしているのか? 客を呼ぶ工夫を」と問いかけて、重三郎がはっとするシーンがあった。

アイデアあふれる田沼意次に経済改革を任せた家治は、ドラマでどのような人物として描かれるのか。意次との関係性の描写とともに注目しつつ、今後の放送を楽しみたい。

【参考文献】
鈴木俊幸『蔦屋重三郎』 (平凡社新書)
鈴木俊幸監修『蔦屋重三郎 時代を変えた江戸の本屋』(平凡社)
倉本初夫『探訪・蔦屋重三郎 天明文化をリードした出版人』(れんが書房新社)
後藤一朗『田沼意次 その虚実』(清水書院)
藤田覚『田沼意次 御不審を蒙ること、身に覚えなし』(ミネルヴァ書房)
真山知幸『なにかと人間くさい徳川将軍』(彩図社)

真山 知幸:著述家

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