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「60歳で教師」になった女性が2年間で得た気付き 教師に憧れながら企業就職、からの伏線回収

東洋経済オンライン / 2025年1月13日 12時0分

子どもの頃から本が好きだった。「特にSFやミステリーが好きで、毎週、図書館に行っては片っ端から本を借りて読んでいました。家には親が、苦しい家計から無理して揃えてくれた文学全集や百科事典があって、暇さえあれば本を読む日々を過ごしていました」。

その一方で、スポーツを見るのにも熱中した。1972年、10歳のときに開催された札幌・ミュンヘンオリンピックを夢中になってテレビ観戦。スポーツアニメにもハマった。「当時の私は病弱だったこともあり、運動が苦手で、体育の成績はいつも2でした。自分ができないからこそ、スポーツができる人への憧れが強くありました」。

中学校1年生で教師になろうと思ったきっかけは、担任の先生との出会いだった。

「その先生は、厳しさの中に愛情がある先生でした。授業も生徒主体の工夫を凝らした内容で、学級新聞や4コマ漫画を作ったり、創作劇を演じたり、歴史探索ツアーを自分たちで企画したりするなかで、学ぶことの楽しさを教えてくれました。

また、当時の私は家庭に少し問題があったこともあり、学級委員を務めるような積極的な面がある一方で、人間関係にどこか息苦しさを感じていました。そんな内に秘めた孤独を理解し、事あるごとに支えてくれた先生のおかげで、社会を生き抜く土台ができたのです」

苦手ながらも運動部にも憧れ、中学時代は卓球部に所属し、高校時代は弓道部のキャプテンを務めた。卒業後は、教師を志して横浜国立大学教育学部に進学。ところが、バレー部に入部したことが、その後の運命を変えることとなる。

就職活動のときにリクルート志望の同級生の付き添いで、同社勤務のバレー部の先輩に会うことに。先輩から「リクルートは男女平等で、1年目から仕事を任せてもらえる。面白い人が多く刺激的な職場だ。先に社会を経験してから、教員になるという考え方もあるのではないか」と聞いて心が揺れたという。

「教育実習で子どもに教えることの楽しさを感じながら、自分には何か足りないものもあるとも感じていました。民間企業で自分を試してみて、社会ではどんなことが必要になるのかを体感してから、教師になるという順番もあるのでは、と」

有森裕子さんと出会い「ファン1号」に

リクルート入社後は営業を経て、人事部の採用担当に。このとき出会ったのが、マラソンランナーの有森裕子さん。故・小出監督に陸上部入部を志願し、実績のなさから何度も断られるも粘り強く交渉を重ね入部を許された人物だった。有森さんの入社時の挨拶を小川さんは今でも覚えているという。

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