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禅僧が勧める「丁寧な暮らし」をつくる5大習慣 だらしない自分を律する「心」より大切なこと

東洋経済オンライン / 2025年1月19日 13時0分

僧侶が一般の方と違うのは、ぐずぐずとだらしなく生活が崩れていかないよう、自分に「箍(たが)」をはめていることです(写真:TASUKU / PIXTA)

あれもこれもと心配ごとが多すぎて、身動きがとれなくなっているのが現代人。どうしたら、不安に囚われることなく、「今、この瞬間」を全力で生きることができるのでしょう。

新著『考えすぎないコツ』では、禅僧であり世界的な庭園デザイナーでもある枡野俊明さんが、「頭をからっぽにして、心を無の状態にする」ためのヒントを解きます。

本稿では、同書から一部を抜粋してお届けします。

僧侶だって欲はある

人間は根本的に弱い生き物だと、私は思います。

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健康のためお酒を控えよう、食事を制限しよう。そう思っても、いざご馳走を目の前にすると暴飲暴食してしまう。

あるいは、子供を叱らない親であろうと心がけているのに、大声をあげてしまう。「今日はここまで終わらせる」と決めた仕事があるのに、手をつけようとしない。

「締まりがない、だらしがない」といえばその通りですが、その人が特別だらしないのではないはず。人間とはそういうふうに生まれついているのだと、私は思います。

あなたも、私も、「何でも自由にしていていいよ」と許されるなら、際限なくだらけていくのではないでしょうか。その点では、僧侶も一般の方々も同じです。僧侶は自制心がありそう、無欲そうといったイメージがあるかもしれませんが、ご馳走が目の前に並べば喉がなります。これは仕方がないことです。

しかし、仕方がないからといって、だらける一方の状態を放置しては、心身ともに健やかではいられないのも、また確かです。

僧侶が一般の方と違うのは、ぐずぐずとだらしなく生活が崩れていかないよう、自分に「箍(たが)」をはめていることです。

私たち僧侶は、常識的な範囲を超えて、毎日を規則正しく生活しています。特に雲水の間は、食事の時間、睡眠する時間、掃除をする時間、坐禅をする時間と、1日のスケジュールが事細かに決められ、「これが終わったら次はこれ」と慌ただしい日々を送ります。

おかげで、煩悩を刺激するものも目に入らず、自分を律することができる。それが箍をはめる効用です。

ちなみに箍とは、桶や樽をしめる輪っかのことです。桶も樽も小さな木の板の集まりですから、箍がないと形をとどめていられません。

箍をはめることによって木の板が隙間なく並び、水が漏れない、正しく使える桶になるのです。同じように禅僧も、箍をはめることで1つの桶となり、世の中の真理が蓄えられていくのだと考えられています。

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