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蔦屋重三郎「吉原ガイドブック」独占した凄い才能 絶妙な時期に参入、ジャンルも"実は手堅い"

東洋経済オンライン / 2025年1月19日 9時30分

おいらん行列(写真: 健一郎 / PIXTA)

NHK大河ドラマ『べらぼう』で主役となった、蔦屋重三郎(つたや・じゅうざぶろう)。重三郎は20代前半で吉原大門前に書店を開業し、書籍の販売と出版をスタート。浮世絵師を巧みにプロデュースし、「江戸のメディア王」として名を馳せた。一体、どんな人物だったのか。また、重三郎が活躍したのがどのような時代で、どんな歴史人物と接点があったのかも気になるところだ。江戸時代中期に花開いた町民文化とともに、この連載で解説を行っていきたい。連載第3回は書店経営者として成功を収めた、蔦屋重三郎のビジネスの才覚について解説する。

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百貨店王と鉄鋼王は同じ教訓を伝えている

年の瀬は1月に発刊される『逆境に打ち勝った社長100の言葉』という本の最終チェックをしていた。ひたすら経営者の言葉に触れていると、「行動を起こすタイミングを逃すな」というメッセージが目立つことに気づく。

【写真】吉原大門の見返り柳。吉原の名所の一つだった。

例えば、アメリカで初めてデパートメントストアを開業させた百貨店経営者ジョン・ワナメーカーは、返品制度や価格制度の統一という画期的な手法を導入した。今ではどちらも当たり前になっていることだが、顧客サービスを何よりも重視するのが、彼の経営スタイルだった。

アイデアマンだったワナメーカーが残したのが、次の言葉である。

「仕事で成功する千載一遇のチャンスというものは、誰にでも訪れる。問題は、それにいかに敏感になれるかだ」

幼少の頃から貧しかったワナメーカーは、学校にも行かず、レンガ工の父を手伝ったり、弁護士事務所や印刷会社で働くなどして、家計を支えた。

貧しいながらも、貯めたお金で母にクリスマス・プレゼントとして襟飾りを買ったときのことだ。後でもっといいものが見つかってしまったが、「取り替えたい」と頼んでも店には聞き入れられなかった。その悔しい経験が後に返品制度の導入というアイデアを生むことになるから、人生はわからない。

ワナメーカーは23歳のときに、妻の兄とともに「オークホール洋服店」を開業。経営者としての人生を歩み、百貨店王へとのし上がることになる。

スコットランドに生まれた実業家アンドリュー・カーネギーもまた、貧しい家庭環境から立身出世を果たした。一家で移民としてアメリカに渡るが、父が事業に失敗。12歳にしてペンシルベニア州アレゲニーにある木綿工場で働いている。

苦境に考え抜いて飛躍するのが名経営者だ

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