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蔦屋重三郎「吉原ガイドブック」独占した凄い才能 絶妙な時期に参入、ジャンルも"実は手堅い"

東洋経済オンライン / 2025年1月19日 9時30分

カーネギーはペンシルベニア鉄道で勤務しながら、製鉄事業への投資で才覚を発揮。28歳の頃には年収の20倍近くの金額を投資で稼ぎ、実業界でその名を広く知られるようになる。

鉄橋を作る会社や製鉄工場を創設し、イギリスで開発されたばかりの「ベッセマー製鋼法」を導入。さらにピッツバーグに最新式の製鉄工場を完成させ、1899年にはアメリカの鉄鋼生産の約25%を支配したというから、すさまじい。

好機を見逃すことなく、富を築いた鉄鋼王カーネギーの言葉がこれだ。

「よい機会に恵まれぬ者はいない。ただそれをとらえられなかっただけなのだ」

百貨店王のワナメーカーとほぼ同じことを言っている。34歳で銀行を辞めて、鉄道事業へと生涯を捧げた、阪急阪神東宝グループの創業者・小林一三も、チャンスが到来したらすぐに行動を起こす大切さを述べている。

「新事業の準備が十分にととのったら即突進すべし。一、二、三ではいけない。二は迷いである、自信のなさである」

一三は、会社員時代の退職金をつぎ込んで、さらに知人・親類からの援助を受けて、電車が走っていない池田・宝塚・有馬地区へと鉄道を敷いた。
大きな課題は「田舎の郊外にどうやって客を呼ぶか」ということ。考え抜いた末に、沿線の宅地開発を行ったうえで、日本初となる住宅ローン制度を考案する。さらに世界初のターミナルデパート「阪急百貨店」を創業するなど、私鉄による多角経営のパイオニアとして、歴史に名を刻むことになった。

NHK大河ドラマ『べらぼう』で脚光を浴びている蔦屋重三郎も、名経営者と同じような気質の持ち主だったようだ。逆境のなかで好機を見極めて、ためらわずに行動を起こすことで、道を切り拓いている。

吉原の地で生まれ育った重三郎は22歳のときに、吉原大門口の五十間道に面した場所で小さな書店「耕書堂(こうしょどう)」を開業する。

だが、吉原自体に逆風が吹いていた頃だった。幕府公認の遊郭である吉原を差し置いて、深川の遊郭が人気を集めて、客足が岡場所(吉原以外の非公認の遊郭のこと)のほうへと流れ出したのである。

「吉原細見」に参入したタイミングが絶妙だった

そこで重三郎は、吉原の案内書「吉原細見」に活路を見出す。これまで遊郭の場所や所属先がわかりづらかったのを改善すべく、誌面のレイアウトを工夫。判型も大きくして見やすくするなど、ユーザー目線で活用しやすいものにリニューアルし、吉原を改めてPRすることに成功している。

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