蔦屋重三郎「吉原ガイドブック」独占した凄い才能 絶妙な時期に参入、ジャンルも"実は手堅い"
東洋経済オンライン / 2025年1月19日 9時30分
苦境のなかで、重三郎のアイデア力が発揮されることになったが、先の経営者の名言にあるように、動き出すタイミングもまた絶妙だった。
もともとはさまざまな出版社が吉原細見を出していたが、やがて「鱗形屋」が独占するようになる。重三郎は鱗形屋版の吉原細見の販売元となっていたが、安永3(1774)年に思わぬ出来事が起きる。
当時、同じ出版物をタイトルだけ変えて出すことは「重板」と呼ばれて、禁じられていた。それにもかかわらず、鱗形屋の使用人がその禁を犯したために、主人である鱗形屋孫兵衛も処分を受けることに……。
「魚は招いて来るものではなく、来るときに向こうから勝手にやって来るものである」
これは三菱財閥の創始者・岩崎弥太郎の言葉だが、まさに重三郎にとっては、そんなチャンスが到来したといえよう。好機を逃すことなく、重三郎は初めての出版物となる『一目千本(ひとめせんぼん)』の刊行に踏み切っている。
『一目千本』とは、各店の上級遊女である花魁の名を、実際にある花に見立てながら紹介する、という遊女評判記だ。重三郎が自ら編集し出版したものである。この本が話題になると、翌年の安永4(1775)、重三郎は吉原細見の出版に参入する。
安永5(1776)年には、鱗形屋は再び吉原細見を出版することが許されるが、時すでに遅し。その頃には、重三郎による蔦屋版の吉原細見がシェアを拡大。天明3(1783)年には、鱗形屋版は駆逐されてしまい、蔦屋版の独占状態となっていたという。おそるべし、蔦屋重三郎……。
手堅いジャンルの出版物で堅実に稼いだ
機を見るに敏――。そんな重三郎の強みは、その後も随所に発揮された。
浄瑠璃の分野で、美声を持つ富本豊前太夫が評判となると「富本節を習得できる稽古本のニーズが高まるはずだ」と、重三郎は予測。富本節の正本と稽古本を出版して、堅実に利益を上げている。
それと同時に重三郎は、手習いの教科書である往来物の出版も手がけた。庶民が買うために価格は安いが、確実にニーズがあるため、安定した収益につなげることができた。
重三郎の行動は一見すると、大胆に出版物を拡大させているように見える。だが、吉原細見にしろ、富本節の正本・稽古本にしろ、往来物にしろ、乗り出す出版のジャンルは手堅い。また参入するタイミングも周囲の状況を踏まえたうえで、考え抜かれたものだったといえよう。
出版人・重三郎の商才がいよいよ開花しようとしていた。
【参考文献】
鈴木俊幸『蔦屋重三郎』 (平凡社新書)
鈴木俊幸監修『蔦屋重三郎 時代を変えた江戸の本屋』(平凡社)
倉本初夫『探訪・蔦屋重三郎 天明文化をリードした出版人』(れんが書房新社)
後藤一朗『田沼意次 その虚実』(清水書院)
藤田覚『田沼意次 御不審を蒙ること、身に覚えなし』(ミネルヴァ書房)
安藤優一郎、かみゆ歴史編集部編『蔦谷重三郎47年の生涯』(「増刊 歴史人」2023年12月号)
真山知幸『なにかと人間くさい徳川将軍』(彩図社)
真山 知幸:著述家
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