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日本人なら懐かしい「歌の昭和史」総ざらい(後編) 昭和が遠のく中、矢沢永吉は今も現役で…

東洋経済オンライン / 2025年1月26日 12時2分

昭和40年代以降のヒット曲を振り返ってみよう(写真:akph/PIXTA)

今年、2025年は昭和100年の年である。これを機に、『赤とんぼ』からユーミン、シティ・ポップに至る「歌の昭和史」を振り返ってみる。

昭和の歌謡は、まずラジオ(今年は放送100年)とともにあった。

戦後はテレビの時代に移行し、多数のスターやアイドルを輩出。またレコードからCDへという時代の変化もあり、ヒット曲を生み出す社会環境も激変した。

後編では昭和40年代以降のヒット曲から考える。

*この記事の前編:日本人なら懐かしい「歌の昭和史」総ざらい(前編)

*この記事の中編:日本人なら懐かしい「歌の昭和史」総ざらい(中編)

昭和40年代はインディーズ系のあの曲が大ヒット

昭和40年代のヒット曲も、まずは永六輔の『芸人たちの芸能史』(中公文庫)の「ヒットソングの系譜」から、拾ってみる。

【表でひと目でわかる!】「昭和20年代・30年代」のヒット曲と売上枚数のリスト

ただし、昭和44(1969)年に原著が刊行された『芸人たちの芸能史』には、昭和43(1968)年までのデータしか掲載されていない。

売上枚数は前回の記事と同じく、1年間に限っての数値。レコード会社による「公表」は、「あてになるものではない」が「参考にはなる」と永さんが断っていることも前回と同じである。

昭和42(1967)年の『帰って来たヨッパライ』のザ・フォーク・クルセダーズは、日本初のインディーズ系ヒットメーカーだ。

この曲は彼ら(加藤和彦・北山修・はしだのりひこ)のメジャー・デビュー曲だが、元はと言えば、グループの解散記念に出したLPに収められたオリジナル曲で、関西のラジオ番組から火がつき、東京の「オールナイトニッポン」で取り上げられて、反響は全国に広がった。

『帰って来たヨッパライ』のヒットで重要なのは、メディアとしてテレビが介在していないところ。フォーク系の歌手たちがこぞってテレビを拒否していた時代の、ラジオの底力を感じさせる。

内容は、飲酒運転で交通事故死したヨッパライが、関西弁の神様に天国から追い出され、この世に戻ってくるというコミック・ソングだ。東芝が目を付けてメジャ-・デビュー・シングルとして発売し、200万枚のメガヒットとなった。

翌年、ミリオンセラーのタイトルを冠し、『帰って来たヨッパライ』は大島渚によって映画化される。グループの3人が主演して、大学生活最後のバカンスを楽しみに海に行った彼らのドタバタ喜劇となった。

リーダー格の加藤和彦は、後に作詞家の安井かずみと結婚、死別後は世界的ソプラノ歌手の中丸三千繪と再婚するなど、何かと話題の多い人だったが、2009年に自殺している。

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