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「僕はモラハラ夫」…本人が遂に悟るに至った経緯【再配信】 「よかれ」と思って妻にしたことは暴力だった(前編)

東洋経済オンライン / 2025年1月29日 8時5分

そうすると、妻の目線が怖くなるんです。「またきっと傷つけてしまったんだろう、自分のことを愛していないと思っているんだろう。妻のことが好きで大切なのに、それでも飲んでしまう自分は、なんて弱い人間なんだろう」と思って、またお酒を飲んでしまう。

もしかしたら関わり方が間違っているのかもしれない

――そこからどうやって変わったんですか?

3年前の暮れに、大きな気付きがありました。その頃、僕は熱心に妻を「応援」していたんです。妻は学校の先生でしたが、クリエイティブな領域ですごい才能があって、でも本人はそれを大したことだと思っていない。僕はもともと事業開発などの仕事をしていたので、もっとその才能が活きる仕事をしたらいいのにと思い、勝手にサイトを立ち上げたり、SNSのアカウントを作ったりして、マーケティング支援をしていました。

結果も出るようになり、だんだん納期など勝手に設定するわけです。「いつまでに何個の○○を用意してほしい」「いつまでに次のアイデアを出して」とか。でも妻はもともとそれを生業にする気もなく、好きなわけでもない。僕だけが「ステージママ」のように勝手に盛り上がり、「なんでこれまだ終わっていないの?」「ご飯とか作ってる暇があるなら、こっちをやってほしい」と、彼女を追い詰めることが増えていきました。

自分は「よかれ」と思って、相手が望んでもいないことを、無理やりやらせていたわけです。そのうち妻が泣いたりふさぎ込んだりすることが増えて、それでまた喧嘩になって、彼女を傷つけてしまう。

妻とクリスマスディナーを予定していた前日にも、同じような喧嘩が起きてしまって。そのときに「この人のことをすごく好きで大切にしているつもりなのに、泣かせたりふさぎこませたりしてしまうのは、僕が“間違った関わり方”をしているのかもしれない」と、ふと思ったんです。

それまでは「この人が怠惰だから、こうなってしまう」と思っていたんですが、そうではなくて「もしかすると自分がよかれと思ってやっていることが、この人にとってよくないのかもしれない」と気付いた。その辺りから、僕のなかで「加害者変容」がガッと始まった感じです。

――こちらは「よかれ」と思ってやったのに、なぜ喜ばない? と思ってしまうこと、私もあります。でも、それが相手にとっては加害行為なのですね。

そうですね、かなり普遍的な「暴力」だと思います。自分が望む形に相手を変えようとする、期待と失望によるコントロールです。その人がそのままでいることを受け入れず、その人を「自分にとってよいもの」に変えようとするわけです。夫婦間に限らず、職場や子育て、友達関係においてもよくあると思います。傍から見ると必ずしも悪くないような加害行為もあるので、わかりづらいですよね。

「ケアの欠如」が暴力の本質

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