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自分より「推し」の成功を望む若者たちのリアル 「世界一幸せな衰退国」日本の歪んだ幸福感

東洋経済オンライン / 2025年1月30日 9時0分

「格差が努力で乗り越えられる」という物語は、ますます現実味を失っている(写真:bee/PIXTA)

希望格差が拡大した令和社会において、自分の成功より「推し」の成功を望む若者が急増しているという。その背景には何があるのか。「パラサイト・シングル」や「婚活」などの言葉を世に出し、近著『希望格差社会、それから』を上梓した山田昌弘氏が解説する。

平成時代を総括すると、「停滞した豊かな社会」ということができる。昭和ではあたりまえに実現できていた、男性は仕事で努力すれば評価され、男女とも結婚して子どもを持ち豊かな生活を築くという、将来への希望が持てない人たちが増えていく。平成はそのような時代であった。

「自分では無理」と思う人々

そして、令和になると、希望格差が固定化する傾向が強まっている。現実では努力しても、世代内でも(その人の人生の中でも)、世代間でも(子どもの世代になっても)、報われないと思う人々が増え、なかなか将来への希望が持てなくなっている。

一部の者は、停滞する中でも、自分が思い描く夢を実現していくことはできる。しかし、それは、能力が特段秀でていたり、親に恵まれていたりするなど、限られた人々になりつつある。少なくとも、多くの人は、「自分では無理」と思うようになっている。

テレビなどマスコミが、「貧しい親の元に生まれたけれど、努力して成功し豊かになった」人の実例を取り上げて宣伝することは、いまだに行われている。もちろん、今でもそのようなケースはあるだろう。

しかし、この「格差が努力で乗り越えられる」という物語は、ますます現実味を失っている。昭和の時代なら、「私も頑張ろう」になったかもしれないが、令和の時代には「別世界の出来事」として聞こえてしまう。

例えば、野球界で大谷翔平がアメリカで活躍している。若い人々の間でも大人気である。昭和の時代なら、自分も自分なりの世界で努力して活躍できるようになろうと「希望の星」という位置づけになっただろう。しかし、今の若者は、自分が身近な世界でもリアルに成功しそうもないことはわかっているから、彼を「推し」、つまり、応援する対象としてしまうのだ。

そう、現実の世界での成功が別世界の出来事なら、バーチャル世界の出来事、体験のほうがますますリアルに思えてくる、というわけである。

分断と絶望の令和社会

令和期は、このまま、「リアルな世界で『豊かな家族生活』を築くという希望をなんとか実現できる人たち」と、それが無理なので、「バーチャルな世界に希望を求める人たち」への分裂が進行していく。

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