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「玉砕を許されなかった兵士」知られざる沖縄戦 『戦場の人事係』を書いた七尾和晃氏に聞く

東洋経済オンライン / 2025年1月30日 11時0分

沖縄戦での収容所体験をした方で、まだ健在の方を探していました。靖國神社の「靖國偕行文庫」でいろいろな方がつづった太平洋戦争時の手記を調べていたところ、沖縄本島南部戦線の生き残りの方の手記を見つけました。それが石井氏との出会いのきっかけでした。

その後、住所が判明し、取材協力をお願いしたところ、石井氏は当時、95歳でしたが、「お会いしましょう」ということで、新潟県の自宅を訪問しました。

──石井氏はどんな人物でしたか。

石井氏は行政経験が豊富で人望があったため、戦後は自治体の首長まで務めた方でしたが、口数が少なく、隙のない方だなという印象でした。耳も遠く、補聴器を使っていたので、私は質問事項を書いて渡すなどいろいろ考えつつ、石井氏と面会しました。

石井氏にあれこれ尋ねるというよりも、私がこれまでに沖縄戦について調べたこととか感じたことを報告する感じで、集めてきた写真を見せたり資料を読み上げたりしました。石井氏はもっぱらそれを聞いて、「うんうん」と、うなずくことが多かった。

私は石井氏の手記も読んでいましたのであまりその内容には触れず、沖縄戦に関しての自分の見方を伝えたりしていました。そして数時間もしてそろそろ帰ろうとしたとき、「ちょっと待て」と言われました。

「私は実は生かされたんだ」「中隊長から生き残れ、生きて伝えよと言われたんだ」と。続けて「このことは誰にも話したことはない」ともおっしゃいました。靖國偕行文庫に寄贈されていた手記にも書かれていませんでした。

そして、中隊の兵士の“人事名簿”を持ってきて、「実は私はこれをガマに隠していた」というのです。そして兵士たちの最期をつづったメモとともに見せてもらいました。

沖縄戦を生き延びた石井氏は戦後、“人事名簿”を基に兵士の遺族を訪ね、戦場での最期の様子を伝えました。それが「生きて伝えよ」と命じられた“人事係”としての役目であることを自認していたからです。もちろん、遺族の接し方もさまざまで、厳しい対応をされることも少なくなかったといいます。

「生きて伝えよ」と命じた中隊長の思い

──石井氏は七尾さんにどんなことを語っていましたか。

“人事名簿”やメモを見せてくれたとき、石井氏は「これはガマから持ち帰ってきた本物だ」「私は多くの兵士の死を看取っているので、これ以上、正確な記録はない」と断言していました。彼は沖縄戦のさなかもこれらを肌身離さず持ち続け、アメリカ軍に見つからないようにガマの中に隠しました。それを捕虜になっていたあるときに、アメリカ軍の隙を見て再び引き揚げ、ひそかに内地に持ち帰ったのです。

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