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妻子を残して単身東京に「仕事留学」10年目の部屋 そろそろ大阪に戻る道も視野に入れつつ惑う40代

東洋経済オンライン / 2025年2月3日 7時50分

「こけしの作り手は、ほとんどがご老人ばかり。彼らはインスタグラムなどのSNSも、もちろんやっていないですから、まず電話番号を調べて電話をかけるところから始めるんです。電話で『工房に伺ってもいいですか?』と交渉して、直接訪ねて、欲しいものがあればお願いをする。完全にアナログなやり取りです」

大野さんの、こけしを求める情熱は相当なものだ。それは、こけしとの印象的な出合いに端を発している。

「冬の山形で初めてこけしを買ったときのことです。私は肘折(ひじおり)という小さな街の秘境温泉を訪れていました。そのとき温泉以外になにか面白いものはないかと思って、ガイドブックで調べて訪問したのが、こけし工人(伝統こけしを製作する職人)のご自宅兼お店でした。

ただ大雪のせいなのか、お店は閉まっていて。一応電話をしたところ、年配の男性にお店を開けていただいただけではなく、奥様にクッキーとコーヒーを振る舞っていただいた次第です。そこでこけしについて、いろいろお話を聞かせていただいて、興味をもったことが収集のきっかけになりました。

こけしを集めていると、そういう予想外の出来事があって楽しいんです。何かを追い求めて誰かにたどり着く、そこでコミュニケーションが生まれてつながりを得る。そのプロセスに、価値を感じているのだと思います」

こけしは東北地方の郷土玩具。深い雪に閉ざされた毎日のなかで育まれた形や模様。愛嬌のある顔立ちには、温もりがある。唯一無二のこけしを求め、雪深い東北の、工人宅を訪ねる大野さん。「もしもこれらが東京のセレクトショップに売っていたら、きっと僕はこんなに惹かれないんですよね」。こけしを見つめながら、しみじみと語った。

挑戦が形づくる紆余曲折の人生

独自に何かを追い求めて、それを手に入れるというプロセスは、大野さんの人生の歩みにもつながるそうだ。

「中学生のときに両親が離婚してから、僕は父親と暮らしました。母親は厳しかったのですが、父親は放任主義。だから好きにやったというか、自分で考えて進路を選んできたんです。

17歳でオーストラリアに留学し、映画の専門学校で学びましたが、当時の経験はなかなかキャリアに生かせませんでした。そこで日本でIT系の専門学校に入りなおして就職。その後、IT系企業で営業職として働くなどし、現在は4社目の会社にいます」

波乱万丈の人生のなかで、大野さんはチャレンジを続けてきた。

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