日大の「存亡の危機」を救った歴代総長の"伝説" 明治維新後の日本近代とともに歩んだ「トップ」
東洋経済オンライン / 2025年2月7日 7時0分
田中英壽理事長体制での一連の事件を経て、2022年7月、作家・林真理子氏を理事長に迎えた日本大学。改革が進むかにみえた新体制だったが、アメフト部薬物事件、重量挙部・陸上部・スケート部における「被害額約1億1500万円超」もの金銭不祥事などが立て続けに起こっている。日本最大のマンモス私大「日大」は、どのような経緯をたどって現在に至ったのか。
話題の『地面師』著者で大宅賞作家でもある森功氏の新刊『魔窟 知られざる「日大帝国」興亡の歴史』を一部編集し、全4回に分けてお届けする3回目(1回目はこちら、2回目はこちら)。
伝説的なトップたち
135年という長い歴史を誇る日大は、何度も大きな転機を迎えてきた。そこで圧倒的な存在感を残した伝説的なトップが数多く存在する。
言うまでもなくその一人が初代司法大臣だった学祖の山田顕義であろう。
山田は陸海軍両方の参謀や中将、法律取調委員長を務めて日本法律学校を創設した3年後の1892(明治25)年1月、枢密顧問官に就任した。この年の11月、再従兄(はとこ)の奇兵隊員だった河上弥市の墓碑に参拝したあとに卒倒し、49歳の若さで命を落とした。
山田亡きあと、草創期の明治、大正時代には、もっぱら検事や司法官僚、司法制度に携わってきた貴族院議員たちが法律学校だった日大を支えた。
日大の歴史は大きく3つの時代に分かれ、大学のあり様が変化してきたといえる。明治維新以降の草創期に続く第二期が、第二次世界大戦の前後から高度経済成長期にかけ、マンモス私学に成長した時代である。そこからさらに、バブル経済期を経てトップに昇りつめた田中英壽理事長時代に突入する。評価の良し悪しはさておき、それぞれの時代には、特筆すべき大学トップがいた。
草創期の日大では、学祖の山田が急逝し、法律専門学校として廃校決議までおこなうなど存亡の危機もあった。それを救ったのが、司法官僚だった松岡康毅だとされる。松岡は裁判所構成法の制定など日本の訴訟制度近代化に尽力し、大審院検事総長や農商務大臣を歴任した貴族院議員として知られた。
山田の死後、ともに日本法律学校の創設にかかわった初代校長の金子堅太郎が退任し、代わって松岡が2代目の校長となる。
松岡は1893(明治26)年12月、日本法律学校が司法省に指定学校になることを認めさせ、山田の急逝した危機を切り抜けた。司法省のお墨付きを得た日本法律学校は、生徒たちに判事検事登用試験の受験資格が与えられ、日本の法曹界に人材を送り出す役割を担うようになる。
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