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内田樹「日本には"お節介な人々"が一定数必要だ」 関東と関西で"おせっかい人口"には差もある

東洋経済オンライン / 2025年2月7日 12時0分

『お節介」が煙たがられすぎていないだろうか(画像:kapinon / PIXTA)

とかく煙たがられる「お節介」。「いらぬお節介」は確かにいやだが、周囲を気にかけるお節介な人がこの世の中からいなくなってしまったら、日本はもっと殺伐としてしまう気もする。

コロナ禍と技術の進化が重なり、人と接触する機会はじわじわ減っている。スーパーのレジにはセルフレジが増え、ファミレスでの注文はスマホ経由が当たり前になった。前ほど人と関わることなく生活ができてしまう時代は加速するばかりだが、便利で気楽な一方で他人の善意に触れる機会も減っていく。

そうした「合理化」はいいことばかりなのだろうか。人との接触、またそれによって遭遇するお節介は、本当に「いらぬもの」ばかりなのだろうか。

その疑問を、思想家、武道家であり、さまざまな人が頼る「ご意見番」的存在でもある内田樹さんにぶつけてみた。すると内田さんからは、思いもよらない「見方」が多数返ってきた。

PTAの最初のミッションは親たちが学校を監視すること

――お節介というとき、ふと思いつくのがPTAです。共働き世帯の増加によって、ベルマーク集めの非効率さとか、その活動の繁雑さを嫌う人も増え「不要論」すら出ていますが……。

PTAは戦後、僕たちが小学生の頃にアメリカから入ってきた制度だと思います。それまでの軍国主義教育に対する反省から、親たちは民主的な学校教育を求めていた。でも、教員たちの多くは戦前戦中と同じ人ですから、軍国主義教育しか知らない。民主主義教育がどんなものか、教師も親たちも見たことがないんです。

だから、教師と親たちが相談して、民主教育とはどういうものかを議論して、それを手探りで実践していった。教師たちの中には戦前と同じように子どもを殴りつけて訓育するのが教育だと思っている人もいましたから、親たちは学校を監視する必要があった。それがPTAの最初のミッションだったと思います。

だからなのか、僕が小学生の頃はPTAの委員は大体父親がやっていました。僕の父親もPTAの委員をやっていました。時々、親たちがわが家に集まって熱のこもった議論をしていました。保護者が教師の言動をとがめて学校に怒鳴り込んでゆくようなこともありましたし。当時のPTAってすごく熱かったんです。

でも、そのうちに軍国主義的な言動をするような先生もいなくなり、親が教師を監視する必要もなくなった。そこからPTAの変質が始まったのかもしれません。

その後は、1960年代からは、お母さんたちが先生と仲良くして、いろいろな学校行事をお手伝いして、学校を和やかにしてゆくことがPTAの主務という時代になった。でも、今はもうお母さんも専業主婦の割合が減って、働いている人が増えましたから、学校行事を手伝うような暇はないということになったのではないでしょうか。

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