1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 経済
  4. ビジネス

「三つ子で1人だけ浪人した」彼が2浪で掴んだ道 次男は早稲田、三男は米国の大学に進学したが

東洋経済オンライン / 2025年2月9日 9時0分

「甲子園に出る」という夢を抱いて、中学1年生の冬に入塾した早稲田アカデミーで勉強を重ねた陸さんは、次男・三男よりも上のクラスに入ることができました。

また、野球のクラブチームでは、エースピッチャーとして、3年生のときに、東京都の大会で準優勝しました。

こうして野球の方面でも結果を出していた陸さんでしたが、高校受験では早稲田実業学校高等部、慶応義塾高等学校に加えて、早稲田大学高等学院と立教新座高等学校を受けるも願いはかなわず。六大学の附属とは関わりのない、第5志望の高校に進学することが決まりました。

進学した高校でも野球を続けることにした陸さんでしたが、今まで以上に野球一色の環境になったことが、大学受験にも影響を及ぼします。

「毎週金曜のオフ以外は、ずっと野球をしていました。毎日部活が20時に終わったので、21時に帰宅してから食事・風呂・就寝という日々を送っていました。そのため、勉強はできませんでしたね。

朝練は強制ではなかったのですが、野球部の生徒は『8時半の始業よりも1時間早く来い』と言われていたので、7時半に学校に来て、その1時間は勉強するようにしていました。ただ、当時はその1時間と授業の間にある10分間の休み時間、登下校の時間だけしか自主的に勉強ができませんでした」

過酷な野球部の生活で勉強時間を確保できなかったことは、成績にも影響します。高校1年生のときは、学校で最も学力が上のクラスに入ることができて、そのクラスの中では35人中2番程度でしたが、高校3年生になると理系クラスで、40人中30番台前半くらいまで成績が落ちてしまいました。

「高校2年生までは模試の点数もそこまで悪くなかったのですが、模試に理科が加わるようになってから、点数が取れなくなりました。中学時代は、最初から都立の高校入試を受ける予定はなかったので、私立で必要な英語・国語・数学を重点的に勉強していました。そのため、理科の基礎的な知識も抜けていたのはきつかったですね。さらに数3が入ってきたので、覚える量も次第に増え、授業に追いつけなくなってしまいました」

現役時には東大・医学部を諦める

高校受験のときのように大学受験でも早慶を受けるのであれば、科目数を増やさなくてもよかったはずですが、高校時代の陸さんは、東大か医学部に入ろうと考えていました。

「高校入試で落ちたから、また早慶を受けるのも違うかなと思っていました。中学のときから六大学で野球をしたかったので、高校3年生のときは東大に行ければいいなと考えていました。また、小さいころから親が医者の友達が多くて、医者という仕事にも興味がありました。いちばん入りたいのは東大だけど、医学部も目指す、という感じで勉強していました」

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

複数ページをまたぐ記事です

記事の最終ページでミッション達成してください