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徴兵を逃れ、軍から脱走したミャンマー人の前途 現地ルポ ミャンマー・タイ国境での支援活動

東洋経済オンライン / 2025年2月11日 15時30分

「ミャンマー側にいたときは毎日戦闘の音に震えながら生活していました。爆撃の音が聞こえない。それだけで生きている実感があります」

現在、ナインさんは建設の仕事をしながら支援団体の援助を受けて生活している。

政治の垣根を越えてCDM活動者を支援する団体

ナインさんを助けた「Mother Embrace」は、ミャンマーでCDM(市民不服従運動)をしていた市民、そして脱走兵や徴兵逃れの人々を支援する団体で、タイ北部のメーソットに活動拠点を持つ。

タンミインアウン代表はミャンマーの元政治犯であり、死刑囚としてヤンゴンのインセイン刑務所に3年間収監された。その後、釈放されたが、2021年のクーデターに抵抗する人を援助したことで軍に目を付けられ、家族と共にタイへ逃れた。

「CDMに関わり、ミャンマーから逃げてきた人を助ける団体はたくさんあります。しかし、徴兵から逃れてきた若者ならまだ大丈夫ですが、脱走兵など軍に関係した人の支援をする団体はあまりないのが現状です。多くの団体では、『暴力に加担した者を支援しない』とする組織のポリシーが壁になるからです。国民を傷つけた人への支援にはドネーション(寄付)への賛同が得にくいのです」

Mother Embraceの場合は国際的なドネーション(寄付)に頼らず、仲間内の資金で活動を続けていると、タンミインアウン代表は語る。脱走兵や徴兵を逃れた人々の窮状を広く伝え、支援を拡大する必要があると訴える。

軍からの脱走兵を「暴力に加担した者」とひとくくりにはできない。そう考えさせる証言がある。

ウェイさん(仮名・44歳)は、かつてミャンマー海軍の曹長としてヤンゴンで任務に就いていた。部下は7~8人。船のメンテナンス、補修が主な任務だった。浅黒い肌で、髭をきれいにそり、髪も短く刈っている。長年にわたって軍人として培った経験が染みついているようなたたずまいだった。彼は落ち着いたまなざしで、静かに話をした。

2002年、軍のエンジニア養成のための大学を卒業してそのまま軍に入隊。仕事は希望していた船の仕事だったので、やりがいもあり、充実した毎日だった。しかし、あることがきっかけとなって、軍に不信感を持つようになった。

略奪活動を自慢し合う、軍の兵士たち

「確か2023年6月か7月、雨季の頃だったと思います。ザカイン管区の街の近くの沿岸での任務のときでした。兵士たちが船の上で話をしていたのを聞いてしまいました。どんなものを戦利品として持ってきたのか、それをどこで売る予定なのかといったことを、笑いながら話していたのです。これにはぞっとしました」

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