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<Wコラム>韓国の激変と共に歩んだ「東方神起」ユンホの30年

Wow!Korea / 2016年5月17日 21時30分

そのときは数多くの市民が軍によって虐殺されたが、民主化を先導した気骨は今も光州市民の誇りとするところである。

その精神は間違いなくユンホにも受け継がれている。

■光州でワールドカップを開催

光州に日本人が大挙してやってきたのが2002年6月だった。ユンホが16歳のときにFIFAワールドカップ日韓共催大会が開催されたが、韓国側10か所の開催都市に光州も含まれていた。市内のワールドカップ競技場では世界が注視する試合がいくつも行なわれた(当時のユンホはデビューに向けて歌と踊りのレッスンに明け暮れていたのだろうが…)。

同じ共催国の日本ではチケットの争奪戦が激しかったが、韓国ではそれほどでもなく、「生でワールドカップを見たい」という日本人の相当数が韓国に向かった。私(康熙奉〔カン・ヒボン〕)も2002年6月に光州でワールドカップを観戦したが、競技場にあまりにも多くの日本人がいて驚いた記憶がある。

あのとき、日本から来た観客は、光州に来て何を思ったか。数年後にこの土地から素晴らしいスターが世に出ることは想像していなかっただろうが…。

ワールドカップ開催から1年半後の2003年12月、「東の方角から神が起きてくる」という壮大な叙事詩を彷彿させるグループが誕生した。「東方神起」である。

彼らの活躍は今さら説明するまでもない。

韓流ブームと一線を画す形で日本で大人気を獲得したのも、すべて彼らが持つ実力のなせるわざであっただろう。

■『国際市場で逢いましょう』

ユンホは、様々な作品に出演しているが、私が特に印象に残っているのは、映画『国際市場で逢いましょう』である。

ユンホの出演シーンは短かったが、とても重要な場面だった。彼は、同じ郷土出身の大物歌手ナム・ジンの役を演じていた。ナム・ジンはベトナム戦争に派兵されていたので、ユンホの出演シーンも戦場だった。

本来なら緊迫感がともなう「敵地からの脱出場面」なのだが、ユンホは伸びやかな演技で観客たちを楽しませた。

「なるほど。監督がユンホを起用した意図はここにあったのか」

そう納得できるように、戦場の場面でユンホは「生きる喜び」を表情であらわしていた。しかも、その軍服姿の凛々しいこと。その後の入隊を暗示するかのような役柄でもあった。

このようにユンホも出演していた『国際市場で逢いましょう』は、韓国の年配の人なら、涙なくして見られないだろう。まさに朝鮮戦争以来の韓国現代史がたっぷりと扱われているからだ。

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