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<Wコラム>韓国時代劇を面白くする「悪女たちの朝鮮王朝」

Wow!Korea / 2016年5月21日 10時56分

彼女たちは確かに悪事を働いたが、あくまで自分の欲望を叶える手段として行なったわけで、悪女としてのスケールはそんなに大きくない。

たとえば、張禧嬪は一番の悪女と言われているが、果たして実際はどうだったのか。

張禧嬪の人生はドラマチックだった。19代王・粛宗(スクチョン)は、自分の正室だった仁顕(イニョン)王后を離縁してまで張禧嬪を王妃の座に登らせた。しかも、王の息子を産んでいたので、王の母になれる可能性もあった。

ただ、後に王妃の座から転落して、最後は仁顕王妃を呪い殺そうとした罪を問われて死罪になる。こんなに波瀾万丈な人生を歩んだ女性は他にいない。何度もドラマや映画の主人公になっていて、韓国時代劇を作る人のあいだでは『困ったら張禧嬪を出せ』と言うくらい、無敵なキャラクターと言える。

■ウラの3大悪女

張禧嬪が悪女と言われているのは、彼女を支持していた派閥が政争に敗れて、対立する派閥が政権を取ったので、意図的に悪女に仕立て上げられたのである。もし張禧嬪を支持する派閥が政権を取っていたら、そんなに悪女とは言われなかっただろう。

歴史は、勝った人たちが記録することが多く、負けた人たちはひどい言われ方をする。張禧嬪の場合は、言われているほどの悪女ではなかったと思われる。

それより、朝鮮王朝には“ウラの3大悪女”と呼ばれる3人がいる。

11代王・中宗の三番目の正室だった文定王后、21代王・英祖(ヨンジョ)の二番目の正室だった貞純(チョンスン)王后、そして、23代王・純祖(スンジョ)の正室だった純元(スヌォン)王后だ。

この3人は摂政をしたり、王の代理として振る舞ったりした。そういう意味では女帝と呼ぶにふさわしい3人である。

文定王后は、自分の息子を王にするために先妻の息子を毒殺するなど、悪政の最たる女性だった。

貞純王后はカトリック教徒が多い政敵に対して大弾圧を行なって、数万人を殺害している。

純元王后は政治を私物化して、19世紀前半に自分の一族の繁栄だけを願い、国の政治を犠牲にして朝鮮王朝が衰退する原因を作っている。

■悪女が出ると人間の奥深さが見える

悪女が関与して政治が混乱した朝鮮王朝。悪女が出てきた背景には何があったのだろうか。

1つは儒教を国教にしていたことだ。儒教の最高の徳目は“孝”で、絶対権力を持つ王も民衆の模範として両親や祖父母を一番に考えなければならなかった。王の母や祖母は長幼の序で敬まれる立場なので、王に対してもいろんなことが言えた。

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