1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 芸能
  4. アジア・韓流

<Wコラム>「テバク」の影の主人公と呼ばれた李麟佐(イ・インジャ)は何者?

Wow!Korea / 2016年6月24日 17時34分

彼はもともと清州(チョンジュ/都から東南側に130キロ離れた都市)に住んでいたが、1724年3月に郎党を率いて清州城を攻めて占領した。

勝ち誇った李麟佐は自らを「大元帥」と称した。彼は「景宗のための復讐だ」という大義名分を掲げ、景宗の位牌をあえて用意して、それを拝み続けた。「義は我らにある」という姿勢を見せて、同志を募ったのである。

兵力を増やした李麟佐の軍は、北上を開始して都をめざした。賛同する者も多かったが、李麟佐に「大元帥」と称するほどの統率力があったのかどうか。

彼は景宗の名を借りて、自らの野心をふくらませただけではなかったのか。

大義名分を掲げて北上して都に迫ったものの、最後は官軍に大敗して、李麟佐は生け捕りにされたあとに処刑された。

■ドラマでさらに有名になった

李麟佐が起こした反乱は、歴史的にも「李麟佐の乱」と呼ばれて朝鮮王朝史に強烈に残っている。

英祖にしてみれば、即位後に訪れた最大の危機だったのだが、これを鎮圧することで王権を強化することができた。

以後は安定した政治運営を続けた英祖は、朝鮮王朝の27人の王の中で一番長生きした。彼の王政は、なんと52年も続いたのだ。これは、他の王と比べても、ダントツの長さである。

結果的に、英祖の王政を強くする役回りを演じた李麟佐。「テバク」の中では、粛宗や英祖とひんぱんに会っていたが、歴史的にそれは不可能である。地方で反乱の首謀者になっただけなのだから……。

そうした人物が「テバク」の影の主人公になり、物語を自在に動かすキーパーソンにおさまっていた。演じたのが名優のチョン・グァンリョルであったから、李麟佐も等身大以上の大人物に描かれていたのである。

間違いなく、「テバク」は歴史上の李麟佐を韓国でさらに有名にしたことだろう。

文=康熙奉(カンヒボン)

(ロコレ提供)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください