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「ラーメン大好き小池さん」モデルの鈴木伸一氏が語るトキワ荘時代、ラーメンがうまくなる持論とは

よろず~ニュース / 2024年4月6日 9時0分

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企画展「鈴木伸一のアニメーションづくりは楽しい‼~トキワ荘からアニメの世界へ~」ポスタービジュアル

 藤子・F・不二雄、藤子不二雄Ⓐ作品の人気キャラクター「ラーメン大好き小池さん」のモデルとして知られる、アニメーション作家の鈴木伸一氏(90)が5日、翌日に開幕する企画展「鈴木伸一のアニメーションづくりは楽しい‼~トキワ荘からアニメの世界へ~」(トキワ荘マンガミュージアム、7月15日まで)の会見に出席。トキワ荘時代の思い出、「小池さん」誕生に関する思い出を語った。

 もじゃもじゃ頭のメガネ姿で、ムニュムニュした口で常にラーメンを食べている「小池さん」。そのモデルである鈴木氏は、多くの大物漫画家を輩出したトキワ荘からアニメーションの道に進み、今も現役として活動中。その歩みはもちろん、アニメのつくり方、アニメの種類も紹介しつつ、鈴木氏の業績を網羅した初の回顧展となる。

 鈴木氏は1933年、長崎に生まれた。漫画家を志し中学時代から雑誌「漫画少年」に投稿し、入選の常連だった。印刷会社勤務ののち上京。同編集部の紹介で1955年、寺田ヒロオ、藤子不二雄の両氏が住んでいたトキワ荘に入居。後に石ノ森章太郎、赤塚不二夫が入居し、鈴木氏は翌年に転居。横山隆一が主宰するおとぎプロに入社し、住み込みでアニメ作家への道を進んだ。

 初めてトキワ荘を訪れた時を「漫画少年」投稿者の常連が集まった顔ぶれだけに「お互いに名前を知っていたので、すぐに友達になりました」と回顧。ほどなく漫画家仲間が暮らしていた2階に空き部屋ができ、入居した。「皆で集まって『新漫画党』というグループを作りました。一緒に仕事をしていると、互いのいいところを吸収できるんですよね。手塚先生やいろんな方と知り合うこともできました」と感謝した。

 当時は藤子不二雄Ⓐこと安孫子素雄が漫画「まんが道」でお馴染みのラーメン屋・松葉に出前を頼み、食事する機会が多かったという。「おいしかったんですよ。なぜおいしいかというと、ラーメンを持ってくるまでの時間と揺れが麺にちょうど良かった。麺類には大事なことだと思っています」と話し、笑いを呼んだ。

 1965年開始の藤子不二雄「オバケのQ太郎」で小池さんが初登場する。「僕が小池さんの家に下宿していたとき、『Q太郎』にいつもラーメンを食べている人が出て話題になったんです。漫画に『小池』と表札が書いてあったから『小池さん』になりました。鈴木と書いてほしかったな」と冗談っぽく語った。なお、小池家には結婚後も含め、長期間の下宿で世話になったという。

 トキワ荘は入居翌年に退去と、短い在住期間となった。漫画家の中村伊助から「フクちゃん」で有名な横山隆一を紹介され、横山が主宰するおとぎプロに入社し、アニメ作家へと転身したためだった。

【次ページ】漫画家からアニメーターへ

 「トキワ荘時代は貧乏でしたが、横山先生のところは食事付き。いい食事が毎回出てきて、布団も貸してくれて寝泊まりできる。心配なく、好きなアニメーションをたっぷりやれて、うれしかった。幸せな生活でした」と述懐。「漫画も好きなんですけども、漫画はもっと才能が必要なんです。個人でやりますから。アニメーションというのはチームでやりますからね。それはそれで面白いところがある」と語り、「日本のアニメーションは世界中で見られている。そのきっかけを作った横山先生、手塚先生と一緒に仕事をさせてもらいました」と感慨深げに語った。

 おとぎプロを退社し、1963年にはトキワ荘の仲間とともにスタジオゼロを設立し、テレビアニメの制作を開始した。

 「おとぎプロはおとぎ話が多かったこともありますが、その時は手塚先生が『鉄腕アトム』を作っていて、これからはSFの時代だと思いました。辞めた途端にトキワ荘の連中から、自分たちでプロダクションをつくろうよ、という話をされました。手塚先生からもお誘いがありましたが、トキワ荘の仲間と会社をつくることを決めていました。先生に『仕方ないね』と言ってもらい、手塚プロには行けなかったですけど、好きなアニメを作れたし、手塚プロからは仕事をもらい助けてもらいました」

 手塚もディズニー好きで、一緒に米国のディズニースタジオを見学するなど交流を深めた。「それもトキワ荘が中心。ありがたいですね」と改めて感謝した。

 2020年7月のオープンしたトキワ荘マンガミュージアムには、鈴木氏が関わっていた。藤子不二雄Ⓐから依頼され、単行本表紙に用いるトキワ荘のカラーイラストを寄稿していた。そのイラストが現在の建物の下敷きになったという。「横山さんのところで、アニメーションも描いていましたが、背景も描いていました。藤子さんに頼まれて、写真はモノクロでしたが、色も描きました。藤子さんからは『色も同じだね』と言ってもらいましたね」と振り返った。

 今回の企画展。鈴木氏は「本当に仰天しております。こんなスゴイ展示になっていると思わなかったので、ビックリしています。本当にありがとうございました」と喜びを口にした。

 同展ではアニメ制作スタジオ「おとぎプロダクション」のアニメ原画や背景画、国産初のテレビアニメシリーズ「インスタント・ヒストリー」(1961年放送)の実物資料を展示する。「スタジオゼロ」社屋の窓ガラス、自主制作作品、体験ゾーンなど、資料総数91点が展示される。さまざまなイベントも実施される。詳細は公式サイトまで。

 鈴木氏は東京工芸大学杉並アニメーションミュージアムの名誉館長を務めながら、現在も現役。2004年に立ち上げたアニメ自主制作集団「G9+1」では最新作を制作中。9月16日には結成20周年イベントを東京・杉並公会堂で開催する。

◆鈴木伸一氏によるトキワ荘メンバーへの一言

寺田ヒロオ「私より二つ年上だったこともありますが、それ以上にトキワ荘の住人の中では兄貴のように頼れる中心的な存在でした」

藤子・F・不二雄「普段から真面目が服を着て歩いているような人でした。自分がこれと決めたマンガの道をひたすら突き進む人です」

藤子不二雄Ⓐ「好奇心旺盛で話好き」「つきあい上手で、人を楽しませる才にたけた人です」

つのだじろう「とても個性的で、でも真面目な人でした。私生活でもいろいろなことに興味を持って自ら入っていったようです」

赤塚不二夫「色白の美男子で、普段は人と喋る時もシャイでおとなしい青年でした」

石ノ森章太郎「ものすごいスピードで絵を描く才能がありました。誰もまねができない速さで完全なものを描くことができました」

(よろず~ニュース・山本 鋼平)

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