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【学研ホールディングス・宮原博昭】の課題 教育・医療福祉に次ぐ3本目の柱の構築は?

財界オンライン / 2022年6月7日 7時0分

学研ホールディングス社長 宮原博昭氏

「逆風に向かって、飛び立とう」というグループ正社員約8000人に呼びかけるのは、学研ホールディングス社長・宮原博昭氏。社長に就任したのは2010年のことで12年が経つ。それまで”19期連続の減収”が続き、ドン底での社長への抜擢。51歳の若さだった。社内の意識改革を進め、祖業の教育(学習参考書や児童書の出版、塾・学習教室)に加え、医療福祉(サービス付き高齢者向け住宅、保育園)を収益源とする2本柱体制を構築。12期連続増収、7期連続増益というV字回復を達成するまでになったが、「ここで気を緩めるな」と社内の気を引き締める。「満足してしまった段階で進化が終わってしまう。これが人間の弱さだと思います」という認識の下、宮原氏は「チャンスを逃すな」と攻めの重要性を強調。成長へ向け、収益の2本柱では不十分として、新たな収益源掘り起こしが続くが、その3本目の柱とは―。
本誌主幹
文=村田 博文

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「満足は敵」常に改革志向で

「常に改革をしていかないといけないと思っています。満足してしまった段階で進化が終わると思っていますから、現役のときは絶対に満足しない、このことだけは気を付けています」
 かつてドン底の時に社長に就任して12年。以来、12期連続の増収、7期連続の増益という好業績をあげている学研ホールディングス社長・宮原博昭氏は気を引き締めながら、こう語る。

 祖業の教育(学習参考書や児童書の出版、塾や学習教室の運営)と福祉医療(サ高住、保育園)の2つの事業を柱に好業績をあげているが、宮原氏は「満足してしまった段階で進化が終わると思っていますから、現役のときは絶対に満足しない」と自戒を含めてグループ全体にそう呼びかける。

気を引き締めながらも、次の成長につながるような新しい事業のネタの発掘は必要。そこで宮原氏は、『逡巡の罪』という言葉を使いながら社内を啓発する。
 今後、収益が得られそうな事業に着手するかどうかを逡巡、ためらっていると、その機会を失ってしまうということ。

「目の前にあるチャンスを絶対逃してもらいたくないということですね」
 宮原氏は1959年(昭和34年)生まれで、途中入社組。防衛大学校を1982年(昭和57年)に卒業。自衛官を志すが、故あってかなわず、貿易商社に勤務。その後、1986年に学習研究社(現学研ホールディングス)に中途入社した。
 しかも勤務地は神戸支社で、勤務地限定職という身分であったが、小学生を対象に算数・国語を教える『学研教室』の切り盛りを任され、実績を上げた。
 公文教育研究会などライバルとの競争も激しい中で、教室の新設や先生の確保とその支援などで頭角を現した。

 神戸支社での勤務が18年経った2003年(平成18年)、東京本社勤務。それから7年後の2010年に社長に抜擢されたという足どり。東京本社勤務になって7年目での社長就任ということで、本人にとっても、何とも慌ただしい人事であった。

 神戸支社では勤務地限定職として働いていた宮原氏は、やる以上はトップを取らなければならないと考えて、朝から晩まで誰よりも一生懸命働いていたと振り返る。
 51歳で社長に就任して12年が経つ。この間、社内の意識改革を含む内部改革を押し進め、サービス付き高齢者向け住宅、そして保育園などの医療福祉分野への投資を進めてきた。
 教育分野と医療福祉分野を2本柱にした収益体制をつくり上げ、2021年9月期に12期連続の増収、7期連続の増益という実績である。

 こうした経歴もあって、「満足は敵。満足は思考停止につながる」という宮原氏の経営観、人生観である。

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「逆風に向かってこそ」

 宮原氏は今年4月、『逆風に向かう社員になれ』という書を刊行。この中で、「飛翔のため、あえて逆風に向かえ」と社員、特に未来を背負う若い世代に向けて発信。空を飛ぶ鳥と逆風の関係を次のように記す。

「翼に当たった空気は上下に分かれて後方へと流れていく。すると、翼の上を流れる空気のスピードは、下を流れる空気と比べて速くなり、上下で圧力差がでる。これにより翼を上に引き上げる揚力が生じ、また翼の先端部にある『初列風切羽(しょれつかざきりはばね)』の働きによって推進力も生じる。この上向きの力と前向きの力のおかげで、鳥は飛ぶことができる」

 宮原氏はかつて防衛大学校で戦闘機のパイロットを目指していた。鳥も飛行機も逆風に向かって飛び立つと、力強く前進するが、「追い風の中を飛ぼうとすると失速してしまう」と強調。「満足とか、追い風というのは敵ですね。進化が止まる。第一、思考回路が働かなくなります」
 宮原氏は、冒頭述べたように、「常に改革をしていかないといけない」と経営のあり方を語り、経営を進化させることが大事と訴える。

創業者の思いを原点に

 同社の事業の発展を見ると、〝進化の歴史〟と言っていい。2000年代に入ると、M&A(合併・買収)も活発化。
 そもそもの事業開始は戦後すぐの1946年(昭和21年)のこと。創業者の古岡秀人氏(1908―1994、福岡県出身)は「戦後の復興は教育をおいて他にはない」として『学習研究社』を設立(株式会社として登記したのは翌1947年)。
 敗戦後、日本の学校で子どもたちに支給されたのは、大半の記述が墨で塗りつぶされた戦前の教科書。これでは教科書として用をなさない─という問題意識を持った古岡氏は子どもたちの教育に取り組もうとした。

 墨塗りの教科書に代わる教材を作ろうと、教育雑誌を作る出版社を興したのが始まり。
 古岡氏は戦前、小倉師範学校(現福岡教育大学)を卒業。小学校教師を務めるなどした後、1935年、小学館に入社した。主婦の友社に転職するが、すぐに辞めて、1946年学習研究社を設立したという履歴。

 なぜ、社名に『学習』を取り入れたのか?
「『教育』という言葉の主体は、子どもを教え育むという大人の側にある。これに対して、『学習』という言葉の主体は、自ら学び、習うという子どもの側にある。そう捉えると、私は『学習』という誌名に、子どもの目線、つまりお客様の目線でものづくりに取り組もうとするオーナーの意志を感じる」

 お客様の目線でいろいろな学習雑誌をプロデュースし続けた古岡氏の創業時の思いを、宮原氏は著書の中でそう記す。
 創業者は、学習雑誌の『学習』、『科学』を創刊し、それを〝学研のおばちゃん〟が児童の自宅に直接届けるビジネススタイルを創出し、事業を発展させた。
 算数・国語を学ぶ『学研教室』も、そうした出版物に先生をつけるという形で教室が誕生。

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イノベーションと人件費の関係

 もっとも、事はそう簡単に運ばない。
 本当に苦労するのはイノベーションと人件費の関係だ。市場縮小などで赤字になる衰退部門をどのように活用していくかが課題になってくるからだ。

 そこで宮原氏は事業のイノベーションを起こすという点では、事業のルーツをしっかりさせながら進化させていくと考えた。実際の事例で言えば、出版部門と教育部門を連携させるといったやり方である。『学研教室』は出版部門がつくる学習参考書を教材にして勉強するという形でスタート。その後、両親が共働きで、家でなかなか親が教えられないという風潮になった。それなら、「先生をつけようということで、出版物プラス先生という形になって教室ができていった」という経緯。

 そうして学習参考書をつくる出版部門と教育部門が連携を取る形が誕生。

 学習参考書の編集者が学研教室の様子を見ることもできるようになり、『学習』や『科学』の営業担当者が『学研教室』の営業もするといったイノベーションを起こしていった。
 このようにして人件費の課題を解決してきた。

塾の課題

 小学生が小学校を卒業して、中学生や高校生になったときの学習ニーズにどう応えるか。
『学研教室』を卒業すると、大体全員が学習塾に進む。そこで同社は『学研メソッド』という会社を立ち上げた(2005年)。
 この事業はなかなかに難しいのが現実。その理由について「公立高校の入試のシステムは47都道府県ごとで違うんです。でも大学入試は一本でしょ」と宮原氏は語る。公立高校の入試は都道府県でバラバラなのだ。

 試験当日の学力テストを合否判定に100%認める県もあれば、当日の学力テスト50対内申書50という按配の県もある。
 また、兵庫県のように、内申書の評価が100%というところもある。
 中学校の3年間の成績で見ようということだが、逆に言うと、中学3年のときに頑張った者でも、中1のときに悪かった生徒はトータルで成績が悪くなる─というケースも出てくる。一方で、中3だけの成績で判定しようという県もある。

 そうした状況の中、学習塾の間では、再編・統合が進む。

 学習教室、塾、そして予備校といった教育産業の盛衰は人口動態と密接に絡む。1990年代前半に少子化は始まっており、人口全体は2008年をピークに人口減の時代を迎えている。
 同社は、2009年に早稲田スクール、創造学園を買収。2017年には塾大手の市進ホールディングス(東証スタンダード上場)の株式を追加取得し、持分法適用の関連会社化を進めている。
「塾が設立されたピークは1965年から1975年位。塾はエネルギッシュに子どもたちを教えて成功した。成功したんだけれども、後継者がいないという所が多いんです」

 今年4月にも、三重・昇英塾をM&Aしたばかりだ。宮原氏が社長になってM&Aした塾の数は20以上になる。社会状況、時代の趨勢(すうせい)を反映しての再編・統合を進めた。

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医療福祉も教育事業の掘り起こしの中で発掘

 もう1つの収益の柱である医療福祉事業は、どういう形でスタートしたのか。

 前述のように、少子化は1990年代前半に始まっていたが、学習塾の勢いはしばらく続いていた。
 最初に異変が見られたのは当時、主力事業であった学習雑誌の『学習』と『科学』。
〝学研のおばちゃん〟が直接家庭に届けるビジネスモデルで人気を博してきたが、共働き家庭が増え、親の在宅率が低下。学研独特の訪問販売方式がその影響を受けて、屋台骨が揺らぎ始めたのである。
 当時、神戸支社で学習誌の営業担当者の宮原氏も、「新小学1年生の家にドア・トゥ・ドアで訪問するんだけど、10軒に2軒位しか出てこない。当然、減収傾向になっていきます」と振り返る。

 そこで新規事業を出せと、20代の若手社員に新規事業の企画を募った。結果、宮原氏は新しい社会のニーズを発掘する。
 訪問時に両親が在宅しているのは全体の2割位で、大半は不在だったが、「お祖父ちゃん、お祖母ちゃんがいるんですよ」ということ。そこで祖父母世代とじっくり話をしていると、「年金で生活できて、子ども達の世話にならずに近くに住みたい」という声を聞くようになった。

 そうした声に着目して出てきたのが『サービス付き高齢者向け住宅』である。いわゆる『サ高住』と呼ばれる高齢者向けのサービスだ。
 サ高住は安否確認や様々な生活支援サービスが受けられる賃貸住宅で、有料老人ホームと比べ、入居者の負担も軽い。比較的、介護度が低い人や、自立しているものの自宅で暮らすことが難しくなってきた時の選択としてサ高住は捉えられている。

 同社は2004年、『ココファン』(現、学研ココファンホールディングス、連結子会社)を設立し、サ高住の提供に本格的に乗り出した。
「これは介護施設ではなくて高齢者住宅です。介護ステージにあわせたサービスを提供することで社会保障費は抑えられます。意義のある事業だと思います」

 要介護者の多い有料老人ホームなどと比べて、サ高住は賃料も安く、入居者も自立自助できるのが特徴。「年金で入れるというのが、サ高住のコンセプトです」と宮原氏。
 国全体で見れば、サ高住1棟ができると、年間200万円位のコスト負担減になるとされ
る。

介護関連も進化する!

 同社は介護施設として認知症高齢者のためのグループホームも運営する。このグループホームは家庭にできるだけ近い環境で、地域社会に溶け込んで生活することを目的に運営されるもので、ユニット型とサテライト型の2つのタイプがある。
 ユニット型は1ユニットに5人以上、最大9人までという単位での入居。サテライト型は1人暮らしができるタイプだ。

「グループホームはワンユニット9人と決められていて2ユニットが今普通ですから、施設1個持っていても18人なんですね。サ高住は大体60人位です」
 高級老人ホームなどは100人から150人位と入居者数も多い。高齢化が進む中、こうした介護関係での対応もきめ細かなものが求められる。
 介護施設(厚生労働省所管)と介護住宅(国土交通省所管)の数で同社は日本1であるが、入居者数は3位というポジションであるのも、こうした介護特有の事情が関わるからだ。

 介護関連施設の棟数で同社は日本1。入居者数の日本1はSOMPOホールディングスで、ベネッセホールディングスが2位、3位にオリックスと学研ホールディングスが並ぶといったポジション(本誌調べ)。

 今後、この介護関連事業にどう対応していくのか。
「サ高住に入居した後に認知症になられる方もいらっしゃいます。認知症人口の増加に対応するため認知症専門のサービス会社、MCS(メディカル・ケア・サービス)をM&Aしました」

「みんな根っこは一緒」

 教育分野では教室が塾を買収していくという形。医療福祉分野では認知症患者対応のように、介護サービスで進化した所をM&Aし強化していく方針。
 医療福祉への参入も教育事業での少子化、共働き家庭の増加という社会の変化を契機に始めたもの。「だから、全部根っこは一緒です」と宮原氏は強調。

「よく、学研は飛び地で勝負しているように思われて、多角経営ですねと言われるんですが、決してそうではないんです。そこはなぜかと言うと、赤字になる衰退部門の人件費を、どういうふうにして活用しないといけないかということも絡んできますからね」
 外から見ると、単なるM&Aで足し算をやっているようにも見られかねないが、そうではないということ。

「本丸の管理部門をどうするか。ここの仕事もちゃんとやらせないといけない。やはり進化の度合いを見て、関係する所をやらせないと、全く畑違いの所では人材の活用もできないし、異動ができない。そこが新規事業開拓のミソになっています」

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グローバル化の課題

 教育、医療福祉に次ぐ3本目の収益の柱をどう掘り起こしていくかという課題。人口減、少子化・高齢化という大きな流れへの対応である。
「総人口は減っていきますからね。高齢者の相対人口率は増えますが、2041年には減少に転じると。シェア争いもありますが、それまでにしっかり世界に出て行かないといけない」
 グローバル化も当然視野に入れての経営戦略。医療福祉については、2035年以降のことを考えて「今から準備している」ということであり、「教育については、もう今やっておかないといけない」という認識だ。

 教育事業のグローバル化には既に着手しているが、試行錯誤もある。経済成長を辿るインドでは、科学実験教室で約45万人の児童を集めたが、今はゼロになった。一方、タイでは約15万人の児童を集め、成長中だ。
 中国では、新興の教育事業大手である新東方と提携し、やはり『科学』領域で事業を拡大させる。中国の場合、国民の所得格差、教育格差が国家的課題となっている。また、教科学習に対して政府規制が入る。それぞれの国で教育は最重要施策の1つであり、規制もそれぞれ違う。郷に入らば郷に従えの精神で臨むことになる。



逃げない「人」をどう育てるか

 思い起こせば、12年前に宮原氏は社長に抜擢された。

 病身の遠藤洋一郎前社長から「君に次を任せたい」と言われたとき、「考えさせていただきます」と答えるのも失礼になると思い、「やります」と即答した宮原氏。
 そう答えながらも、「なぜ、私なのですか」と尋ねたところ、「お前は唯一逃げないからだ」
という言葉が遠藤氏から返ってきた。そして、「お前は玉砕しないからな」という言葉が続いたという。
 経営をつなぐことが決まった瞬間である。
「難事から決して逃げない」─。この言葉が宮原氏の社長としての生きざまに投影されている。

 経営の行方を決めるのは、結局、「人」である。特にM&Aを実行していく中、M&Aされた側の人の力をどう活かしていくかは最重要課題だ。

 同社がM&Aした塾『創造学園』出身の福住一彦氏、認知症関連サービスを提供するMCS社長の山本教雄氏、海外事業支援サービスのアイ・シー・ネット社長・百田顕児氏は、学研ホールディングス本体の取締役としてボード入りしている。M&A先の「人」の活用だ。

 創造学園の創業者は、大橋博氏(1944年生まれ)。幼児教育(保育園・幼稚園)から高等学校、そして大学・大学院まで手がける学校法人「創志学園」の創立者として知られる。
 その大橋氏は学校経営に専念するため、塾の『創造学園』の経営権を学研に譲渡。そして、塾経営の人材が欲しいという学研側の要望に応えて、側近の福住一彦氏を「寄越してくれた」(宮原氏)という。
 現在、福住氏は学研の教育戦略担当の常務取締役を務めている。M&Aも「人」同士の信頼があってこそ成り立つ。結局、事業の成否を決めるのは「人」の使命感。そして活力だ。

「学研は学研らしく生き抜いていきたい」という宮原氏の生きざまである。

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