特集2017年9月8日更新

彼らに日本は狭すぎる!海外で活躍する日本人

錦織圭、本田圭佑、ダルビッシュ有…スポーツの世界において海外で活躍する日本人はどんどん増えてきています。メジャースポーツ以外でも、様々なジャンルで海外で活躍する日本人はたくさんいるんです。そんな彼らの中から、ほんの一部を紹介します。

目次

MAN WITH A MISSION(ミュージシャン)

狼の顔をかぶったビジュアルが印象的な、MAN WITH A MISSION(マン ウィズ ア ミッション)。見た目だけでなく高い音楽性が評価され、海外でも大人気のバンドです。2014年に全米デビューし、アメリカやヨーロッパでも精力的にツアーを行っています。

同イベントのメインステージにおいてMAN WITH A MISSIONのライブが行われ、アンコールを含め全9曲を披露。
フランスの地でも人気となっている「Raise your flag」では、会場に地響きが起こるくらいの大合唱に包まれ、ライブを大盛況で終えた。
この日のMAN WITH A MISSIONのライブは、5,000人を超える記録的な観客を動員し、
同イベントが開催された過去17年間の中で最高の動員記録となった。

MIYAVI(アーティスト / ギタリスト)

超絶技巧を誇るギターとイケメンぶりで“サムライ・ギタリスト”の異名で世界中から人気のMIYAVI。彼がライブを行った国はなんと30カ国以上。まさに世界を股にかける活躍ぶりです。

ミヤヴィ:1981年生まれ、大阪府出身のソロアーティスト/ギタリスト。エレクトリックギターをピックを使わずに全て指で弾くという、独自の“スラップ奏法”でギタリストとして世界中から注目を集め、これまでに北米・南米・ヨーロッパ・アジア・オーストラリアなど約30カ国250公演以上のライヴを行なっている。13年6月には自身のアーティスト名を冠した世界デビューアルバム『MIYAVI』をリリースし、アジア、ヨーロッパ、北米など世界各国でリリースされワールドツアーと共に話題を呼んだ。また、アンジェリーナ・ジョリー監督映画『UNBROKEN』も出演し、俳優としてハリウッドデビューも果たしている。

EBIKEN(蛯名健一)(ダンサー)

独学で学んだダンスを武器に、アメリカのオーディション番組で優勝。賞金100万ドルを獲得して全米の有名人に。その後もアメリカを拠点に数々のパフォーマンスで人気を博しています。

1994年に渡米、ダンスを趣味で始め、独学で学ぶ。20年間アメリカを 拠点に活動。ダンス・マイム、照明や音を使ったイリュージョン、マジック、映像を使った独自な演出で注目を集め、世界40か国以上でイベントやTV番組に出演。 パフォーマンスのYouTube再生回数は1億回以上。
NYアポロシアター「アマチュアナイト」日本人初年間総合チャンピオン他、受賞歴多数。

尾崎英二郎(俳優)

「ラストサムライ」や「HEROES」にも出演している尾崎英二郎は、通訳経験もある語学力を武器にロサンゼルスに在住しアメリカの映画、ドラマに出演しています。リドリー・スコット製作総指揮の「高い城の男」シーズン3にも準レギュラーとして出演することが決まっています。

リアリティを追及する米国の演技手法を東京で学び、NHK朝の連続テレビ小説「あぐり」でTVデビュー。
NYオフ・ブロードウェイでの舞台「ザ・ウインズ・オブ・ゴッド」の演技で現地新聞の批評家らの評価を得たことを契機に、ハリウッドに挑むことを志す。30代で初の米国映画「ラストサムライ」に出演。クリント・イーストウッド監督作「硫黄島からの手紙」で主要キャストに抜擢され、2007年に活動拠点を米国に移す。
渡米後は、地上波4大ネットワークの人気作品に出演。最新出演作は、「アベンジャーズ」のスピンオフドラマ「エージェント・オブ・シールド」シーズン2、スティーヴン・スピルバーグ制作総指揮のSFドラマ「エクスタント」、第二次世界大戦中のアメリカの家族を描いた映画「リトルボーイ」(全米興行ランキング初登場第8位)など。

福士リナ(ファッションモデル)

17歳でパリコレデビューを果たした福士リナは、176cmという長身を武器に海外で数々のファッションショーに出演。スーパーモデルの仲間入りを果たし、世界が注目する日本人の1人となりつつあります。

デビュー以来、雑誌・ファションブランド広告に多数出演。
2016年AWパリコレクションにてルイ・ヴィトンのエクスクルーシブでパリコレデビューを飾り、
『世界が注目する日本人モデル』として海外のメディアでも紹介される。
ワールドワイドでの更なる活躍が期待される18歳。

萬波ユカ(ファッションモデル)

2015年のデビューから2カ月でミラノ・パリと立て続けにコレクションデビュー。その後も勢いが衰えることなく次々に海外のショーに立ち続け世界からも注目の新人として注目されています。

元看護師という異色の経歴を持つモデル。特技はバレエ、ピアノ、コラージュなど。2015年7月にモデル活動を開始すると、同月中にFENDI初のオートクチュールショー “HOUTE FOURRURE”にて鮮烈なデビューを果たす。その2ヶ月後の9月にはミラノコレクション、さらにその翌月にはパリコレクションでもデビュー。
2016年に入るとその勢いはさらに増し、2月にはNYコレクションにてDKNYなどのショーに出演。モデルとしての目覚ましい活躍を評価され、VOGUE.com、The New York Times、ELLE UKなどで「2016年注目の新人」として紹介された。

中邑真輔(プロレスラー)

新日本プロレスで活躍後、世界最大のプロレス団体「WWE」へ。独特の動きと切れ味鋭い格闘スタイルで瞬く間に人気者に。入場時の観客による大合唱、そしてリングイン直後の「イヤァオ!」は鳥肌ものです。

1980年生まれ、京都府出身。青山学院大学レスリング部を経て、2002年に新日本プロレスでデビュー。必殺技「ボマイェ」と決めぜりふ「イヤァオ!」を代名詞にIWGPヘビーほか数々のタイトルに輝き、日本プロレス界を牽引してきた。総合格闘技では3勝1敗1無効試合

WWEでも快進撃を続け、8月にはヘビー級王者とのタイトルマッチを行いましたが、この時は相手陣営の妨害にあいタイトル獲得ならず。しかし再挑戦が決定、さらには挑戦者決定戦に勝利して3度目のタイトルマッチも決定しています。

10月の「ヘル・イン・ア・セル」でのWWE王座挑戦が決定した。中邑は、WWEの真夏の祭典「サマースラム」(8月20日、ニューヨーク)でマハルのWWE王座に初挑戦したが奪取に失敗。9月16日の大阪公演「WWE Live Osaka」でもマハルとの王座戦が組まれており、これで3か月連続のタイトルマッチ。王座へ確実に近づいている。

羽根田卓也(カヌー選手)

リオ五輪のカヌー・スラローム男子カナディアンシングルで日本人として初めての銅メダルを獲得した羽根田卓也。彼は高校卒業後に単身スロバキアに渡り、言葉もほとんど通じない環境の中、「カヌーがうまくなりたい」一心で修行を続けていました。

羽根田卓也選手(29)は18歳となった2006年にカヌー・スラロームの本場スロバキアに渡り、当時現役だったミラン・クバンコーチに出会う。現地の大学に通いながら10年間、本場の人工コースで強豪たちと練習を重ねてきた。資金面では自らミキハウスに履歴書とPR動画を見せて協賛を得るなど人気競技とは違った苦労も経験した。

加藤恒平(サッカー選手)

海外で活躍する日本人選手は、今ではすっかり珍しくなくなりました。ある者はより高いステージを求めて、またある者は自身をステップアップさせるために、ある者は日本にこだわらずもっとサッカーができる場を探して。そんな海外で活躍する日本人フットボーラーの中で、日本でのプロ経験が1年しかなく、海外のチームを転々としてきた加藤恒平の名はトップ・シーンにおいてははほぼ無名の存在。そんな彼が今年5月に日本代表に選ばれたことで、一躍注目を集めることになりました。

2016年9月にハリルホジッチ監督が「チェックしている」と口にしたことから、突然注目される存在となった加藤。その約1年後には実際に代表に選出された。
日本でのプロ生活は町田ゼルビアでの1年間のみ。大学時代にはアルゼンチン、町田退団後はモンテネグロ、ポーランド、ブルガリアでプレーしてきた苦労人が日本サッカーの最前線に突然降り立つことになった。

根本悠生(レーシングドライバー)

1996年09月22日生まれの20歳。今期FIA-F4ではランキング13位と中段の成績となってしまいましたが、実は海外では大きな成績を残しているのです。
9月10~11日にイタリアのヴァレルンガサーキットで開催されたイタリアGT選手権に、VSRチームから出場。初めての海外、初めてのGT3、初めてのランボルギーニ、という状況にもかかわらず、なんと予選2位!
10日に開催されたレース1決勝では5位に入ります。これだけでもすごいことなのですが、翌11日に開催されたレース2ではなんと優勝!イタリアでは名も知らない19歳(レース当時)の日本人がいきなり優勝ということでテレビや新聞が大きく取り上げた、とのこと。

中村哲(医師)

中村氏は30年以上に渡り、パキスタンやアフガニスタンで貧困層や難民の医療に従事しています。2000年以降は灌漑事業や農村復興にも奔走し、数々の国際的な賞を受賞しています。

中村氏は1973年に九州大医学部を卒業後、国内の病院勤務を経て、1984 年にパキスタン北西辺境州の州都ペシャワールのミッション病院に赴任。以来、貧困層に多いハンセン病や腸管感染症などの治療に従事、難民キャンプや山岳地域での診療へと活動を広げた。2000年に旱ばつ被害が甚大なアフガニスタンで飲料水・灌漑用井戸事業を始め、2003年から農村復興のため大がかりな水利事業に携わった。
住民の生活向上や平和構築を目指す現地での活動は、国際的に高く評価され、同氏は「アジアのノーベル賞」と言われるマグサイサイ賞を受賞している。

福山太郎(実業家)

24際にしてシリコンバレーに渡った福山太郎氏。アメリカの福利厚生サービス部門でトップシェアを誇る「Fond(起業時の社名はAnyperk)」の創業者です。

Anyperkの福山太郎は、シリコンバレーで挑戦中の若き起業家。現在28歳の福山が本場・シリコンバレーの地に降り立ったのは24歳の時。有名アクセラレーターのYコンビネーター出身で、同地で最も知られる日本人起業家の一人へと成長した。現在、低価格で福利厚生のアウトソーシングサービスを提供。アメリカに本社を置き、孤軍奮闘し、メジャーリーグに挑戦をした野茂英雄選手を彷彿させる。

徳吉洋二(シェフ)

本場イタリアでレストランを開き、日本人オーナーシェフとしては初めてミシュランの星を獲得している徳吉洋二シェフ。彼の店のコンセプトは“混成”。日本とイタリアのエッセンスを混成させた彼ならでは料理、一度味わってみたいものです。

徳吉シェフは、1977年鳥取県生まれ。東京都内レストランでの修行時代を経て、2005年に渡伊。「オステリア・フランチェスカーナ」に勤務して僅か1ケ月でスーシェフとなり、当時ミシュラン1ツ星であった同店を、2006年2ツ星、2012年に3ツ星にまで引き上げ、同レストランは今年アメリカ・ニューヨークで開催された「THE WORLD'S 50 BEST RSTAURANTS TM」で堂々の世界第1位にも輝きました。そして、2015年2月に満を持して、イタリア・ミラノに自身のレストラン「RISTORANTE TOKUYOSHI(リストランテ・トクヨシ)」を開業。わずか10ケ月で日本人オーナーシェフとしては初のミシュラン1ツ星を獲得しました。

いかがだったでしょうか。当然ながら、紹介した方々以外にも海外で頑張っている日本人の方は本当にたくさんいます。今回はとりあえず「Infoseekニュースに記事が配信されていた人」を基準にピックアップしてみました。
外務省の調査によると、海外で働く「海外在留邦人」の数は平成26年時点で129万人で、ここ5年間で13%増加しているのだそうです。もはや「海外で働くこと」のみに価値観を云々する時代でもありませんが、世界の人々から評価と賞賛を得ている点で、素直に尊敬に値しています。でもこのページで紹介している方々は、もはや日本やその他の国々という枠組みすらないのかもしれませんね。