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【全文掲載】「マリウポリの20日間」監督が命を賭けて取材を敢行した理由を明かす 5800字超の声明文公開

映画.com / 2024年4月26日 11時0分

最初の数日間で、マリウポリの住民43万人の約4分の1が避難しました。しかし、戦争が近づいていると確信していた人はごく僅かで、大部分の人たちが、自らの判断の誤りに気付いた時にはもう手遅れだったのです。

ロシアは電気や水、食料の供給を徐々に遮断していき、最後に、携帯電話やラジオ、テレビ塔を使用不能にしました。マリウポリ市内にいた他の数人のジャーナリストたちは、完全に封鎖されて通信が途絶する前に脱出しました。

通信を遮断することはとても重要なことで、これにより2つの目的が達成されることになります。

第1の目的は、大混乱を生じさせること。何が起きているのかを知る手段が無くなり、人々は恐慌をきたす。当初、マリウポリが何故これほど早く崩壊したのか、私には理解できませんでしたが、今では、コミュニケーションが不在となったことがその原因だったのだと思います。

第2の目的は、刑事免責です。マリウポリから情報が発信されず、破壊された建造物や瀕死の子供たちの画像が無ければ、ロシア軍は何事も意のままにできてしまう。我々がいなかったとしたら、マリウポリの情報は皆無だったはずです。

それこそが、我々が目にしたものを、危険を冒してまで世界に発信し続けた理由であり、同時に、ロシアが激怒し、我々を追跡しようとした理由なのです。

私は、沈黙を破ることがこれほど重要だと感じたことはありませんでした。

瞬く間にマリウポリ市内は死で一杯になりました。2月27日、我々は、榴散弾に当たった少女を医師が救おうとする様子を目にしました。その少女は後に死亡しました。2人目、3人目も亡くなりました。救急車は、電話が機能せず出動の要請を受けられなくなり、爆撃を受けて破壊された通りを走行することもできなくなったため、負傷者の搬送を停止せざるを得ませんでした。医師たちは、死亡した人々を運び込む家族を撮影するよう我々に懇願し、減り続ける発電機の電力を我々のカメラに使わせてくれました。我々の都市マリウポリで何が起こっているのかを世界では誰も知らないでいるのだと、医師たちは嘆きました。

病院と周囲の家屋が砲撃を受け、我々のバンも窓が割れ、側面に穴が開き、タイヤがパンクしました。時として、我々は炎上する家屋を撮影するために飛び出し、爆発の中を走って戻ることもありました。

当時のマリウポリ市内には、通信ネットワークに安定して接続できる場所がまだ1ヶ所だけ残されていました。そこはバディヴェリニキウ通りにある略奪された食料品店の外で、我々は1日1回その場所へ赴き、階段の下にしゃがんで写真や動画を世界へとアップロードしていました。階段では身を守ることはできそうにありませんでしたが、屋外にいるよりは安全に感じられたのです。

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