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「あの人は幸せそうでいいなぁ」…他人をうらやんでいるときに「見落としてしまいがち」なある視点【現役住職が「劣等感への対処法」を伝授】

THE GOLD ONLINE(ゴールドオンライン) / 2024年5月3日 13時0分

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(※画像はイメージです/PIXTA)

「あの人はいいなぁ」と他人をうらやましいと思うことはありますか? そんなときの対処法と、人生が楽になるコツを、現役住職で著者累計100万部を超えるベストセラー作家の名取芳彦氏が教えてくれました。

「変わらないものなど何一つない」…変化を受け入れる

「無常」を忘れたとき、心が乱れる

『平家物語』の冒頭のフレーズとして有名な「諸行無常」。これは、仏教が説く「もろもろの作られたものは同じ状態を保たない」という事実を表わす言葉です。

すべての物事は、さまざまな縁(条件)が寄り集まった結果として生じます。集まってくる縁は、加わったりなくなったりして次々に変化するので、その影響を受けて結果も次々に変わります。

体を動かすのが縁になって空腹になり、空腹を縁にして食欲が生まれます。そこに過労や心労による消化器系不調の縁が加わると、食欲不振という結果になります。さらに、親のやさしさという縁が加わると、実家からレトルトのお粥が届いたりします。

このように、縁の変化にともなって結果が変わるのは至極当然のこと。にもかかわらず仏教が「諸行無常」を説きつづけるのは、こうした「変わらないものは何一つない」という事実を私たちが忘れ、変化に対して心が乱れることが多いからでしょう。

もし同じ状態がつづくのを望むなら、集まってくる縁に対して次々に手を打たなければなりません。それができないなら、変化を楽しむ心を持っていましょう。

「『矛盾』を当たり前として生きる」…そのほうが、ずっと心がラクになる

こんな「思い込み」は捨てること

社会心理学者のメルビン・ラーナーが一九六〇年代に発表した理論に「公正世界仮説」があります。「世界は、良いことをすれば良い報いがあり、悪いことをすれば悪い報いがある」という思い込みのことです。

努力すれば明るい未来が開けるという思い込みは、受験勉強や自己投資など、前向きな生き方の原動力になります。しかし、公正世界仮説を無条件に信じていると、難病になったのは本人(あるいは先祖)が何か悪いことをしたからという理論が成り立ってしまいます。他にも、新型コロナ感染症のパンデミックを、人類の自然破壊や「正しい教え」に従わない報いと説明するカルト教団の言い分も通ってしまうなど、危険な面もあります。

世の中の矛盾についても、「矛盾があるのはおかしい」と信じて疑わない人がいます。しかし、「人はかならず死んじゃうのに、どうして生まれるの」といった子どもが抱く素朴な疑問を始めとして、この世には矛盾が佃煮にできるほどあります。それを当たり前のこととしてとらえ、楽しんだほうが、ずっと心軽く生きていけます。

「幸も、不幸も、あって当たり前」…すべては「あなたの都合」次第

「あの人は幸せそうでいいなぁ」と思ったら―

私たちにネガティブやマイナスの感情が起きるのは、自分の都合通りになっていないときです。「苦=自分の都合通りにならないこと」は仏教以前のインド哲学で解明された定義ですが、いつの世にも通じる真理でしょう。

言いかえれば、私たちは自分の都合通りになってさえいれば幸せで、不幸を感じるのは自分の都合通りになっていないから、ということになります。ですから、自分に都合(願い)がある限り、幸も不幸もあるのは当たり前なのです。

「あの人は幸せそうでいいなぁ」と、うらやましがっている場合ではありません。幸せかどうかは本人が決める問題で、他人が決めるものではないからです。“あの人”は“あの人の願い通りになっている”から幸せそうなのか、単にあなたの価値観に合わせると幸せそうなのかをチェックする余裕は持っていたいものです。

自分の都合が自分の努力で実現可能なら努力すればいいのです。しかし、自分の努力だけではどうにもならないと思うなら、自分の都合を少なくするよう努めるしか、幸せになる方法はないでしょう。

「『あきらめる』と、人生は驚くほど好転する」…どんな物事にも、その「覚悟」を持つ

「あきらめる」とは、「明らかにする」こと

何かを諦めるのは不甲斐ない、情けないと思っているなら、それは間違いです。

「あきらめる」を辞書で引くと、最初に【明らめる】と出てきます。意味は(1)明るくさせる(2)事情などをはっきりさせる。次が【諦める】で、(「明らめる」の(2)の意から)思いきる。仕方がないと断念したり、悪い状況を受け入れたりするという意味。

ですから、断念するという意味の「諦める」には、朝に明るくなって景色がはっきりするように、事情をはっきりさせた上で思いきる覚悟が必要です。「諦」は「つまびらかにする、明らかにすること。仏教語では真理。また、真理をさとる」という意味で、マイナスの意味は微塵もありません。

このように、事実関係や事情を明らかにした上で諦めるなら、むしろそれは理に適っているのです。途中で嫌になったから、人から言われたからやめるなど、事の真相を明らかにしないまま投げ出すのならともかく、「こういう事情だから、やめる」と納得して諦めるなら臆することはありません。

「あきらめる覚悟」を持って物事に向き合えるようになれば、人生は驚くほど好転していきます。

名取芳彦

住職

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