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モルシ政権の運命が米中東政策に及ぼした影響 - 冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代

ニューズウィーク日本版 / 2019年6月18日 17時30分

<死去したモルシの運命は、世界とアメリカが「アラブの春」にどう向き合えば良かったのか、という疑問を突き付ける>

ムハンマド・モルシの訃報は突然でした。2011年の「アラブの春」でムバラク政権が崩壊して民主化が実現されたのち、2012年に行われた選挙で勝利して同年6月に大統領に選出、しかしながら2013年7月には軍によるクーデターで失脚、シシ政権の発足に伴って逮捕された後は身柄を拘束されていました。6月17日に法廷で倒れ、そのまま死去したと報じられています。享年67歳でした。

アメリカの中東政策を考える場合、モルシ政権の運命というのは、米外交への影響は無視できないものを残したように思います。そのことを考えるために、モルシ氏の残した課題を整理しておきたいと思います。

1つ目は「アラブの春」の評価です。2011年にアラブの春の運動が、チュニジアからエジプトに飛び火した時、オバマ政権はこれを歓迎しました。そこには、素朴に自由と民主主義の普遍性を正義として信じる態度がありましたが、同時に、不安定な独裁政権が続くことで、不満を抱くグループが過激化する危険性が、民主化によって減るだろうという期待もありました。

ですが、結果的に民主主義の手続きによって成立したモルシ政権は、徐々に宗教的な性格を強めていき、最後には憲法を改正して民主主義を壊す判断まで突き進んでしまいました。結果として、民主化が実現したために、民主的に非民主的な憲法をオーソライズしようとするという矛盾に立ち入ってしまったのです。

もちろん、国連で活躍したモハメド・エルバラダイ氏をはじめとした非宗教政治(世俗政治)を志向した政治家が、大統領選に出馬しなかった問題もあり、それがモルシ氏のような「ムスリム同胞団」政権を作ってしまったわけですが、問題はそれだけではありません。そもそも、アラブの春の発生に際して、アメリカや国際社会はどう振る舞えば良かったのか、これは大変に重たい疑問です。

2つ目は、モルシ氏個人の軌跡です。この人は職業政治家ではなく、そもそもは宇宙航空工学における素材(酸化アルミニウム)の基礎研究者でした。苦学したのちに、エジプト政府の国費留学生としてアメリカに留学、南カリフォルニア大学でPhD(博士号)を取った後は、アメリカで大学の教員もしていたのです。

その後は、エジプトに戻って大学教授をしていたのですが、やがて「ムスリム同胞団」から出馬して国会議員、そして大統領にまでなりました。アメリカで学位を取得し、大学で教えていた人物が、自分の母国に戻った後、宗教系の保守政党で政治に携わったこと、その内心のドラマがどんなものであったか、同氏の死によってそれは永遠の謎になってしまいました。

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