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「奇跡だ」「地元の誉れ」 新潟柏崎市出身・セーリング富澤慎選手がパリ五輪代表内定、両親や関係者から驚きと称賛の声

新潟日報 / 2024年5月4日 16時40分

富澤慎選手の五輪内定を祝い、白竜公園に設置された横断幕=4月30日、柏崎市四谷1

 新潟県柏崎市出身で、セーリング男子の富澤慎(まこと)選手(39)=トヨタ自動車東日本=が4月27日、パリ五輪代表に内定した。東京五輪まで出場してきた種目がなくなり、今回から採用された新種目「iQフォイル級」に挑戦。適応に苦しみながらも5大会連続の五輪出場を勝ち取った姿に両親は驚き、関係者からは称賛や祝福の声が上がった。

 富澤選手が専門としてきたRSX級に代わり、パリ五輪ではiQフォイル級が 採用された。船底に水中翼があり、海面から浮き上がるように進むボードを使うため、スピードが出やすい一方で操作は難化。多くの選手が東京五輪前から新種目に移行する中、五輪の延期も重なり、対応が1年半ほど遅れた富澤選手は苦戦を強いられてきた。

 フランスで五輪最終予選が行われた4月25日、父・仁さん(68)は自宅でレースの速報にくぎ付けになっていた。「すごいことが起きている。奇跡だ」。新種目に転向後、レースで下位に沈むなど、苦しむ姿を見続けてきただけに、喜びもひとしおだった。

 母の幸恵さん(68)は、「今回ばかりは無理かと思っていたけど、最後まで諦めちゃいけないんだとつくづく思った」と驚きを隠せない様子だった。

 五輪当日は、家族ら14人ほどで現地観戦する予定だという。仁さんは「ずっと低迷していた分、満足いくような成績を出して、オリンピックを楽しんでほしい」とエールを送った。

 富澤選手が中学生の頃から活躍を見守ってきたという、柏崎マリンスポーツ連絡協議会の仁木賢理事長(77)は「最初の頃は見よう見まねでやっていたのに、本当にたくましくなった。柏崎の誉れだよ」としみじみと語った。

 仁木さんは1990年ごろからウインドサーフィンの普及に取り組んできた。「5回もオリンピックに出るような選手が地元に生まれて、活動が形になったようでうれしい。ぜひメダルを取ってもらいたい」と期待を寄せた。

 富澤選手の母校、柏崎工業高校の池田匡校長(54)も「本校の卒業生が世界の舞台で活躍していることを誇りに思う」と祝福。校内に富澤選手の賞状などを集めた特設コーナーを設けることを計画しているといい、「子どもたちと一丸で応援したい」と力を込めた。

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