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「記事そのものよりコメント欄のほうが重要」ウェブニュースでそんな本末転倒が起きる根本原因

プレジデントオンライン / 2021年9月30日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/maruco

経済ニュースを発信する「NewsPicks(ニューズピックス)」は、誰でもニュースへのコメントを投稿できるのが特徴だ。ユーザーの中にはニュースよりもコメント欄を重宝する人もいる。なぜそんな現象が起きるのか。「Screenless Media Lab.」による連載「アフター・プラットフォーム」。第6回は「他者の考えの中に自分を見つける人たち」――。(第6回)

■人々は本当にネットに「共感」を求めている?

これまで、ネット上で人々を動かす原動力は、他者の投稿への「いいね」や「シェア」に代表される「共感」であると説明されてきた。

私たちは「共感できる情報」を求めてスマホに向かうと言われるが、果たして本当にそうだろうか。むしろ私たちは新しいニュースにどう反応すればよいか、という手がかりを求め、いつしか自分自身の意見を探すようになり、ついにはネットで見つけた意見を自分のものだったかのように思ってしまう。つまりは自分をオーバードライブ(上書き)しているのではないだろうか。

われわれはこのようなケースを「実質わたし」と呼んでいる。以下では、このことを説明する挑戦的な見方を示すとともに、「実質わたし」の仕組みが機能しているサービス例を挙げ、「実質わたし」をより有効に機能させるための指針を示したい。

■共感ではなく「その通りだと思っていた」だとしたら

SNSの投稿をシェアする際に添える言葉は、シェアステートメントと呼ばれる。「その通りだと思う。」といったシェアステートメントは共感を示す言葉であるが、例えば「その通りだと思っていた。」と過去形になるだけで、その真偽が疑わしく感じられないだろうか。

つまり、現在形のときは、他者の意見への「賛同」に強調点があるように感じられるが、過去形になると、自分がそう考えていたのは「いつから」かに強調点があるように感じられないだろうか。「その通りだと思っていた」という過去形の表現は、それは自分があらかじめ感じていたものだ、ということなのだろうか。

このことと関連する極端な例として、「パクツイ」を挙げよう。

ツイッターでは、140字で気の利いたことを述べる投稿に「いいね」が集まるが、そこで生まれたのが「パクツイ」である。

パクツイはその名の通り、他人のツイートを「パクる(盗む)」もので、簡単に言えば無断転用ということになる。断っておけば、「リツイート」は、引用元が明示されているため、パクリには該当しない。

■パクツイに見る「実質わたし」とは何か

パクツイやシェアステートメントは、ともすれば他人の言葉を盗んでまで注目を浴びようとする、過剰な承認欲求の現れとして注目されることがある。しかし、パクツイはそのような理由だけで行われるものなのだろうか。

むしろこのような行為は、「実質わたし」の観点から考えたほうが適切ではないか。例えば、携帯電話やインターネット回線契約に際して「実質無料」という文言を目にしたことがあるだろう。実質無料にはさまざまなパターンがあるが、典型的には支払う金額に別の対価が含まれているとして、その対価は無料(ない)に等しいと説明することである。

ここで注目すべきは、無料ではなく、「実質」という言葉の意味である。実質無料における実質とは、「今あるものに別のものが最初から含まれている」と見なすことである。

このような意味での「実質」は、ユーザーの行動に関する、ひとつの見方になるのではないか。それを冒頭で述べたパクツイを事例に考えてみよう。

改めてパクツイを考えてみると、意外と複雑であることが分かる。

■「注目されたいからパクる」だけではない

ネット時代は匿名の発言であふれている。確かにこのなかから1つぐらいつまんだところで、発言の無害な拝借は許されると考えてしまうことは想像に難(かた)くない。

これまで、小説や音楽など、生産者(作り手)と消費者(受け手)の差異が明確な領域では、作品に共感しても、それを自分のものとして思うことはなかった。簡単に言えば、「わたしとあなた」の間には確たる隔たりがあったということである。

一方、SNSには発信と受信が相互に行われる「双方向性」に特徴がある。

まず、SNSは匿名性が高い空間である。次に、発信と受信、生産と消費の役割の区別が、既存のメディアに比較して曖昧である。そして、あらゆる話題において参入障壁が低く、プロにも簡単にリプライが可能な時代であるため、例えば素人が平気でプロと同等の立場で、プロにダメ出ししたり、反論したりできると思ってしまうような錯覚が生じている。

このように、SNSはさまざまな意味でハードルが低い。しかし、ハードルが低いからと言って、他人のモノを簡単に盗むとは考えがたい。しかしもし自分も同じ意見だと確信していれば、「実質わたし」であると考えていればどうだろうか。たまたまそのユーザーが先に発言したかもしれないが、そう考えていたのは私のほうが先であるかもしれない。

スマホに並ぶソーシャルメディアアプリ
写真=iStock.com/bigtunaonline
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/bigtunaonline

つまり、「実質わたし」の視点で見れば、「実質わたし」であるからこそ、拝借しても許される、と考えてしまうわけだ。これはある意味、注目されたいがために盗むという説明より、自然ではないか。

■他者の意見や考えの中に自分を見つけている

私たちが自分の意見だと思っているものは、実際には他者の考えに影響されたものが多い。それは確かであるが、SNS時代では頻繁に他者の意見に接触しているため、私の意見と他者の意見の境界線が曖昧になっている。そうすると、いつの間にか「私の中に他者の意見を見つける」のではなく、「他者の中に自分の意見を見つけた」と思うようになってくる。

こうした「他者の意見の中に見つけた自分」を、私たちは「実質わたし」と呼んでいるのである。これはある種の錯覚と言えるかもしれない。このように考えれば、パクツイをしたくなるような投稿は、パクツイした人にとっては「実質わたし」の投稿なのだ。

インターネット流行以前の90年代には、他者とは異なる私を自分の中に探すことを「自分探し」と呼んだ。

若者たちは、玉葱を剥(む)くように、剥けば剥くほどなくなっていく自分に狼狽したが、その子どもたちは、SNS時代の中で、他者の意見や考えの中に、いともたやすく自分を見つけてしまうようである。

■ゲームをしないのに「ゲーム実況」を楽しむ人たち

この「実質わたし」が、他の領域でも現れていると解釈してみよう。

例えば、Twitch(ツイッチ)等で人気のゲーム実況である。ゲーム実況とは、投稿主がゲームをプレイする動画に、音声解説等をつけながら配信するものであり、若者を中心に、世界的に人気を博すコンテンツの一つである。

ファミコンをはじめとした家庭用ゲームに慣れてきた世代にとっては、ゲームとは自分でプレイするものであり、他人のプレイを視聴するとしても、その目的はゲームの攻略法を知るためのものだった。

しかし昨今のゲーム実況の特徴は、そのような攻略法ではなく、ただ投稿主の実況付きプレイ動画を視聴することにある。実際、筆者の息子も自分がプレイするよりも、プレイ動画の視聴に興じているが、これは中年世代にとっては、理解しがたいものだ。

しかし、ゲーム実況の流行を「実質わたし」の観点からみれば、不思議なことではないかもしれない。中年世代にとっては、他者が「する」ことと私が「見る」ことには大きな違いがあるが、他者の中に「実質わたし」を見るなら、それらは同じことだ。中年世代が思っている以上に、SNS世代にとって、私の体験と他者の体験の境界は、それほどはっきりしたものではないのかもしれない。

■ニュースに対しても「見方や解釈」が求められている

この、他者と私の間の境界が曖昧になるという意味での「実質わたし」という感覚は、ニュースへの接し方も変えたようにみえる。「NewsPicks(ニューズピックス)」を取り上げてみよう。NewsPicksは大手の経済ニュースプラットフォームだが、誰でもニュースに対するコメントの投稿が可能であり、とくにピッカーと呼ばれる著名人によるコメントを参照できることが最大の特徴である。

NewsPicksの利用者にとっての醍醐味は、ニュースそのものに触れることよりも、ニュースの見方に触れられることである。情報過多の時代に希少性が有るのは、ニュースよりも、その見方、解釈の枠組みである。

かつて、ドイツの社会学者ノルベルト・ボルツは「われわれは、情報を与えられることによっていつも意見をもたざるをえず、態度を決めざるをえないのに、情報から自分の意見を形成できないでいる」と言ったが、それから四半世紀がたった今、情報に対する自分の態度や意見そのものを、与えられた情報の中から簡単に見つけられるようになっている。

ピッカーのコメントは、その最たるものだ。ユーザーは、その時々の気分や時流に合わせて、ピッカーらのコメントの中に、自分自身の態度や解釈枠組みを見つける。「実質わたし」はそこらじゅうにあるのだから、そこでは、一貫性などというものは必要ない。必要なのは「反射神経」だけである。

ノートパソコンとタブレット端末とスマホ
写真=iStock.com/SPmemory
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/SPmemory

哲学者のアルノルト・ゲーレンが言う、「事情通の世間知らず」とは、まさに私たちのことである。NewsPicksは、その意味では、結果的に「実質わたし」という感覚の広がりをうまくサービスにつなげたと言える。

■ユーザーの「実質わたし」を刺激するためには

実質わたしの観点が生じると、「実質わたし」と思わせようとするサービスが登場するが、これは共感とは異なる。ユーザーは「実質わたし」を探しており、その意味で、NewsPicksは「実質わたしマーケティング」として他に先駆けた事例だと見ることができる。

NewsPicksに課金してコメントを読んで同様の意見を発信するユーザー、ゲーム実況を楽しむユーザー、彼らは承認や共感を求めているのではなく、それらの言葉や体験を「実質わたし」のものとして享受している。マーケティングを行う上で、両者の差異は極めて重要な視点だ。

この視点をマーケティングに利用するという意味で、どのような投稿が拡散力を生むのか考えてみよう。この場合、パクツイしたくなるような拡散力のある発信とは、いかに「実質わたし」として採用されやすい内容・形式が伴っているかが鍵となる。

私たちの調査では、少なくとも以下の点が重要である。

1 直感的・反射的に理解できるもの
2 反論される余地の無いもの
3 共有されている価値観や文脈を正当化するもの
4 共有されている価値観や文脈を外れずに、第3の視点を提供するもの

■SNSは共感から「実質わたし」の空間へ

こうした要素を含む投稿が、マーケティングにおいて「実質わたし」を惹起(じゃっき)させるのである。これまでSNS空間においては、共感が重視されていた。しかし、今後は「実質わたし」と思わせることが有力な手段として用いられていくだろう。

これにはもちろん賛否両論がある。否定派は、自分自身の意見や考えと、他者のそれとを明瞭に区別でき、また、すべきという前提に立っているだろう。盗作や剽窃(ひょうせつ)が許されないのは当然であるが、私たちは誰もがさまざまな影響関係の中にあるということは認めてもよいはずだ。「実質わたし」だと思うことで、自分の視野が広がることもあるだろう。

他方で賛成派は、拡散や受容のされ方にマーケティング上の魅力を感じるかもしれず、また上述のように個人の視野を広げる可能性に期待するかもしれない。しかしながら、こうした手法がユーザーの自律性を損ねる可能性があることには、十分な配慮が必要である。

複雑な情報環境にあって、私たちは、自分が何を考えているかが分からなくなる時がある。そのような時に、面白く、知的であるような、そうした言葉に触れた時、私たちは興味を惹(ひ)かれ、新しい自分に出会う。かつてとは異なり、今の時代は、他者に出会うのは、自分に出会うより難しいことなのかもしれない。

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Screenless Media Lab. 音声メディアの可能性を探求し、その成果を広く社会に還元することを目的として2019年3月に設立。情報の伝達を単に「知らせる」こととは捉えず、情報の受け手が「自ら考え、行動する」契機になることが重要であると考え、データに基づく情報環境の分析と発信を行っている。所長は政治社会学者の堀内進之介。なお、連載「アフター・プラットフォーム」は、リサーチフェローの塚越健司、テクニカルフェローの吉岡直樹の2人を中心に執筆している。

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(Screenless Media Lab.)

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