室町幕府は六代将軍をくじ引きで決めた…そんな定説に東大教授が「くじは八百長だった」と異説を唱えるワケ
プレジデントオンライン / 2023年3月29日 10時15分
※本稿は、本郷和人『「将軍」の日本史』(中公新書ラクレ)の第2章「くじ引きで決められた将軍」の一部を再編集したものです。
■くじ引きで決めるのは無責任で適当?
ここで考えたいのは、室町時代の将軍、とりわけ室町幕府四代将軍の足利義持と、その弟で六代将軍となった足利義教についてです。義持は、自分の息子である五代将軍・足利義量(よしかず)が若くして亡くなったのち、その後継を自分で決めないまま、自らも亡くなりました。
困り果てた家臣たちは石清水八幡宮まで赴き、その場でくじを引いて次の将軍を決めます。こうして六代将軍となったのが義教でした。くじ引きで決められたので、しばしば「くじ引き将軍」と呼ばれます。
次の将軍を決めずに亡くなった義持も無責任ながら、家臣たちも家臣たちで、くじ引きで将軍を決めるとは、なんと適当なことだろうかと読者のみなさんも思うのではないでしょうか。しかしそこには、誰が将軍を決めるのかという問いに答える、重要なヒントが隠されていたのです。
■嫡男が大酒飲みで亡くなってしまう
最大の権力者となった三代将軍・義満、その後を継ぎ、さまざまな改革を行った四代将軍・義持。義満、義持の頃に、守護大名たちと連携しながら、室町幕府は最盛期と呼ばれる時代を築いていきます。
そんな義持にとって唯一の悩みの種となったのが、後継者問題でした。彼には後継となる男子は嫡男の義量ひとりしかいませんでした。この義量に将軍を譲ったのち、自分は父・義満と同じように大御所として実権を手放しませんでした。
将軍になっても権力を振るうことができなかった不満からか、もともとそうだったのかはわかりませんが、義量は浴びるように酒を飲む性分だったようです。早くからの大酒飲みが祟(たた)り、酒毒のため体を壊して、若くして亡くなってしまいます。五代将軍に就任して、わずか二年のことでした。
■次の将軍は「お前たちで決めろ」と言い残し…
義持にとってはたったひとりの息子で、そのほか自分の直系に後継になる男子はいません。とはいえ、当時40歳だった義持は、「自分はまだ元気だし、いずれ男子ができるだろう」と希望を抱き、新しい将軍を立てずにまた自分が将軍になって、引き続き政治を執り仕切ったのです(つまり、五代将軍・義量の死後、四代将軍だった義持が将軍職に復帰して六代将軍になったと言えなくはないのですが、ややこしくなりますから、ここではそのようには数えません)。
もともと実権を握っていたのは義持でしたから、室町幕府の運営上は特に問題はありませんでした。ところが将軍に復帰して3年後に、義持もちょっとした病で亡くなってしまうのです。風呂でできもの(雑熱(ぞうねつ)といいます)を掻いていたら破れてしまい、そこから雑菌が入り、感染症を引き起こして、高熱を発して亡くなったとされています。
義持が高熱で倒れた時点で、これは助からないと考えた守護大名ら幕閣は、瀕死(ひんし)の床にふせっている義持に、「次の将軍には誰を据えたらよいでしょうか」と尋ねました。しかし、義持は誰も指名することなく、「お前たちで決めろ」と答えて亡くなったのでした。
■守護大名たちはくじを引いた
義持には若死にした義量以外に息子がいませんでしたが、四人の弟がいました。いずれも剃髪し仏門に入っていましたが、この四人の弟たちを候補に、彼らのうちのひとりを次期将軍にしようということになります。守護大名たちは話し合い、石清水八幡宮でくじ引きをして決めることにしました。
時の管領で守護大名の代表格だったのは畠山満家でしたが、この人が、石清水八幡宮の社頭でそれぞれの候補者の名前を書いたくじを引き、幕府に戻って開封しました。すると、そこに記されていたのは青蓮院義円という名でした。この義円は、義持と母親が同じ弟で、青蓮院の門跡となり、天台座主にもなった人物でした。
くじを引いて決めたというのは、いわば神慮に委ねたということです。神に判断を任せたことになります。八幡神は武士を守護する神ですから、石清水八幡宮でくじを引くというのは、それなりに理にかなっていたとも言えます。富士の裾野の大巻狩りで、源頼朝の後継者として頼家が神から承認を受けた話を思い出してください。当時、神意を聴くということは、一定の説得力を持つことだったと考えられます。
■義持のブレーンによる八百長だった?
神の意志。中世研究者はそこに疑いを持ちません。本当にそうでしょうか。人がワルい私は、そんなに素直に神を信じることができません。つまり、このときのくじ引きは八百長だったのだろうと考えているのです。おそらく、4つのくじには、すべてに「青蓮院義円」と書いてあったのではないか。
私の見立てでは、おそらくこの義円を後継者にするべくプロデュースしたのは、三宝院満済という醍醐寺の僧侶です。満済はもともと摂関家(五摂家のうち二条家)の分家・今小路家の出身で、父親の極官(最高の官職)は大納言でした。若い頃から足利義満に才覚を認められ、非常に可愛がられていた。おそらく、男色の関係にあったのではないかと思われます。
この三宝院という院家は、足利将軍家とこれ以上ないほど密なる結びつきを持っている寺です。当時の天台宗や真言宗の僧の最上位に位置するのは、将軍を祈りのパワーで守る護持僧という存在でした。将軍の護持僧は10人ほどからなり、12人であるときは毎月それぞれ担当者を決め、将軍の平安や無病息災を祈っていました。
彼らこそは当時の仏教界のトップであり、それらを構成するのは摂関家出身者がほとんどでした。そうした僧侶に自分の利益(りやく)増進を祈らせるのですから、当時の足利将軍家は摂関家すら凌ぐ力を持っていたことになりますが、その護持僧を束ねる役目を担ったのが、この三宝院の門主でした。
■父に関連する事はすべてひっくり返した義持だが…
三宝院はなぜ、そうした地位を獲得したのでしょうか。それは、足利尊氏と三宝院門跡の賢俊とが人格的に深く結びついていたことに始まります。賢俊は僧侶にもかかわらず、尊氏のためなら戦場に出て戦死することも厭わないというような人物でした。その恩に報いるかたちで、尊氏は三宝院の寺格を大幅に引き上げたのです。
また、賢俊の実家であった日野家から足利将軍家の妻が出るという習わしができました。ちなみに、のちに八代将軍の足利義政の妻となる「悪女伝説」で有名な日野富子も、名前の通り、日野家から足利家に嫁ぎました。
三宝院の門跡についても、日野家の人物を三宝院に入れ、後継とするのが習わしでした。ところが、義満は何を思ったか、自分が溺愛していた満済を三宝院の跡取りとしたのです。満済の実家は摂関家の分家ですから、三宝院門跡を代々務めていた日野家より上位なのですが、無理矢理、満済を跡取りにねじ込んだわけです。
四代将軍・義持は、父・義満が行ったことはことごとくひっくり返してしまいましたが、なぜかこの満済だけは例外で、三宝院門跡にとどめました。よほど能力のある人物だったのでしょう、義持は満済に、仏事についてのみならず、政務のさまざまな相談をしています。
■6代将軍決定の裏には優秀な黒幕がいた
今日、満済が記した『満済准后日記』が残されており、当時の様子を窺い知ることができます。それによると、義持もはじめのうちは仏事に関することだけを満済に相談していたのですが、次第に政治の相談を持ちかけるようになっていったことがわかります。満済は義持の相談に的確に答えており、義持のブレーンとなっていくのです。非常に優秀な保守政治家だったという定評が、現在でもあるのです。
おそらく、義持が亡くなったのちに全体の絵を描いたのは、この満済だったのだろうと私は見ています。満済は、四人の弟たちのうち将軍にふさわしいのは青蓮院義円だろうと考えていた。あるいは、実際にくじを引いた管領の畠山満家もグルだったかもしれません。実は満家と満済とは非常に良好な関係でした。この二人が結託すれば八百長は容易(たやす)い。こうして、満済がキングメーカーの黒幕となり、青蓮院義円が六代将軍・義教になったのです。
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東京大学史料編纂所 教授
1960年、東京都生まれ。文学博士。東京大学、同大学院で、石井進氏、五味文彦氏に師事。専門は、日本中世政治史、古文書学。『大日本史料 第五編』の編纂を担当。著書に『日本史のツボ』『承久の乱』(文春新書)、『軍事の日本史』(朝日新書)、『乱と変の日本史』(祥伝社新書)、『考える日本史』(河出新書)、『「将軍」の日本史』(中公新書ラクレ)。監修に『東大教授がおしえる やばい日本史』(ダイヤモンド社)など多数。
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(東京大学史料編纂所 教授 本郷 和人)
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