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「これなら読める!おれ、バカじゃなかったんだ!」読み書き障害の男の子が教科書を読めるようになったワケ

プレジデントオンライン / 2023年10月18日 10時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/recep-bg

日本の識字率は100%とされているが、実際には多くの子供たちが読み書き障害を抱えている。書体デザイナーの高田裕美さんは「教科書に使われる書体には、『とめ・はね・はらい』などの線の流れ、独特の線の細さ、書体ごとの形の違いなど、文字を習う教育現場だからこそ無視できない課題が山積していた。こうした課題を解決するために開発したのが『UDデジタル教科書体』だ」という――。

※本稿は、高田裕美『奇跡のフォント』(時事通信社)の一部を再編集したものです。

■文字の読めない子どもたち

少しだけ、想像してみてください。

小学校の国語の時間。先生から指名された子どもが、順番に立ち上がって教科書を朗読しています。

朗読しているのは、「ちいちゃんのかげおくり」です。

夏のはじめのある夜、くうしゅうけいほうのサイレンで、ちいちゃんたちは目がさめました。『さあ、急いで。』お母さんの声。外に出ると、もう、赤い火が、あちこちに上がっていました。

読み終えた子が、席につきます。次は、後ろの席の男の子の番。

男の子は教科書を手に持って立ち上がると、まじまじと開いたページを見つめます。

そのまま5秒、10秒……。なぜか男の子は読み始めません。

「どうしたんだろう?」

まわりの子どもたちが、怪訝そうに男の子の顔を見つめます。教室に流れる沈黙の時間。

次の行には、こんな一文が書かれています。

お母さんは、ちいちゃんとお兄ちゃんを両手につないで、走りました。

長くもない、難しくもない文章。

「ただ、読めばいいだけなのに」

きっと、まわりの子どもたちはそう思うでしょう。

男の子だって、心の中ではそう思っています。

でも、読めません。読みたくても、読めないのです。

男の子は、じっと身を固くしたまま、その場に立ち尽くすことしかできずにいます。

■日本語話者の5~8%が「ディスレクシア」

「わたしは文字がうまく読めません」

もしも皆さんが、子どもからそう言われたら、どんなことを考えるでしょうか。

本を読むのが好きじゃないのかな? 漢字が苦手なのかな? 人前で声を出して読むのが恥ずかしいのかな?

そんなふうに思われるかもしれません。

けれども、理由はそれだけではないのです。

例えば、先ほどの男の子の目には、こんなふうに教科書の文字が見えていたかもしれないのです。

ディスレクシアの子どもの見え方
画像=筆者作成

文字が重なって見えたり、似た字の区別がとっさにできなかったり、文字を見ても何と読むのか一瞬考えてしまったり。教室で順番に朗読するような場面だと焦るあまり、文字がゆらいだり、ねじれたり、反転して見えることさえあります。

こうした障害を「ディスレクシア」(発達性読み書き障害)と言います。

ディスレクシアは、文字をすばやく、正しく、疲れずに読むことに困難のある、学習障害の一つです。そのメカニズムは、まだ完全にはわかっていませんが、脳の音韻処理を司る機能に障害があると考えられています。

専門家による調査では、日本語話者の5~8%がディスレクシアであるという報告がなされています。これが正しければ、1クラス(35人)のうち2~3人の子どもは、読み書きに何らかの困難を感じていることになります。

■知能レベルや勉強不足が原因ではない

耳慣れない言葉だと思われるかもしれませんが、それだけ“隠れディスレクシア”の子どもたちが、身近にいる可能性があるのです。

また、よく誤解されやすいのですが、ディスレクシアは、知能レベルや勉強不足(知識の欠如)が原因ではありません。会話をするだけなら全く問題ありませんし、話の内容も理解できます。ただ、会話を文字にすること、文字を読み上げることに大きな苦労を伴います。

そして普段の会話や理解力には問題がないだけに、ディスレクシアの子どもは「(やればできるのに)勉強のやる気がない子」「漢字が苦手な子」「読書が嫌いな子」といったレッテルを張られがちです。

先生や親からは「もっと頑張りなさい」と言われます。

でも、頑張って努力してもなかなか上達しない。読みたくても書きたくても、周りの友達のようにすらすらと読めるようにはならない。不用意に他人から傷つけられ、無力感を募らせた子どもは、次第にこう考えるようになります。

「もしかして、わたしって、ぼくって、バカなのかな?」

教科書がうまく読めないのは、ディスレクシアの子どもだけではありません。

景色がぼやけて見えたり、視野の一部が欠けて見えたり、眩しく感じたりする、「ロービジョン」(弱視)の子どもたちもいます。

■子どもたちは人知れず悩んでいる

例えば、先ほどの教科書の文章をロービジョンの子の視点で見ると、このようになります。

ロービジョンの子どもの見え方
画像=筆者作成

これは、あくまで一つのイメージサンプルに過ぎません。ディスレクシアと同様に、ロービジョンも見え方はさまざまです。時間をかけたり、文字を拡大したりすれば読める子もいる一方で、視覚を補助する機具や機械に頼らないと文字を読めない子もいます。

2007年に日本眼科医会が調査した推計によると、現在、国内には約164万人の視覚障害者がいます。そのうちの8~9割にあたる145万人がロービジョンなのだそうです。

程度にもよりますが、普通学級では学習に支障があるため、専用のサポートが受けられる特別支援学級や視覚支援学校に通う子も多くいます。

日本の識字率は、ほぼ100%とされ、ほとんどの人が文章を理解して読み書きできると考えられています。でも実際には、文章の内容は理解できても、文字を読んだり書いたりすることに苦労している子どもたちがたくさんいる。それも私たちのとても身近に、人知れず悩んでいる子どもたちがいるのです。

その事実を知ったとき、私は驚き、ショックを受けました。

そしてこの衝撃こそが、私を「UDデジタル教科書体」の開発に駆り立てる、大きな原動力となったのです。

■書体デザイナーとして歩んできた32年間

ご紹介が遅くなりました。私は「書体デザイナー」という、あまり聞き馴染みのない仕事をしています。

大学を卒業してから32年近く、デザイナーとしてたくさんの書体を開発してきました。今はモリサワという会社で今まで書体をあまり意識していなかった教育現場や自治体などを中心に、書体の重要性や役割、その使い方のポイントなどを書体デザイナーとしての経験を活かして普及、推進する仕事をしています。

書体とは、同じコンセプトでデザインされた文字の集まりのことです。スマートフォンやパソコンで文字を打つことが当たり前となった現代では、「フォント」と言うほうが、聞き慣れているかもしれません。「フォント」とはパソコンで使えるよう、デジタル化された書体のことです。

世の中には、無数の文字が溢れ返っています。そして、その文字の一つひとつがデザインされていて、必ず何かの書体のカテゴリーに当てはまります。

書体のカテゴリー
出所=『奇跡のフォント』

■ほかの書体とは決定的に違う部分

例えば、パソコンで文章を打つときは「明朝体」を、Power Point(パワーポイント)でプレゼンテーションの資料を作るときは「ゴシック体」や「丸ゴシック体」を使っているという人は多いのではないでしょうか。

ほかにもあります。毛筆の楷書や行書など筆で書いた文字を再現した「筆書体」、奈良時代の寺社で使われていた印鑑の文字を再現した「古印体」、70~80年代のファッション誌を中心に一世を風靡(ふうび)した「タイポス」や商品のPOP広告に使われる「ポップ体」などを含む「デザイン書体」。変わったものでは、食品の表示ラベルのように、限られたスペースに多くの情報を詰め込むために文字の横幅が狭く設計された「コンデンス書体」などもあります。

2016年にリリースされた「UDデジタル教科書体」も、そんな数ある書体のうちの一つです。

ただ、ほかの書体とは、決定的に違う部分があります。

それはUDデジタル教科書体が、健常者の子どもたちだけでなく、ロービジョンやディスレクシアの子どもたちにとっても、「見やすく、読みやすく、間違えにくく、伝わりやすいこと」を目指して作られた教科書体であるということです。

■特別支援学校の授業でショックを受けた

今から約16年前の2007年。

私は新しい書体を開発する中で、特別支援学校に通うロービジョンの子どもたちと触れ合う機会を得ました。

教室の机と椅子
写真=iStock.com/GlobalStock
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/GlobalStock

子どもたちは授業で、拡大教科書を使って勉強していました。拡大教科書とは、弱視児童生徒のために教科書の文字や図形を拡大などして複製したものです。

2008年に成立した教科書バリアフリー法により、今では教科書発行者に対して、通常の教科書だけでなく、同じ内容の拡大教科書などを発行する努力義務が課せられています。

しかし、当時はそのような法律はありませんでした。そのため子どもたちの親やボランティアの方々が、教科書の文字を一文字ずつ、別の紙にフェルトペンで大きく写して拡大教科書を手作りしていたのです。

それでも見えにくいのでしょう。子どもたちは机に鼻先が当たるくらい、ぐっと顔を近づけて、教科書を読んだりノートを書いたりしていました。

その様子を見て、私はいたたまれない気持ちになりました。

書籍、雑誌、新聞、ワードプロセッサ(以下、ワープロ)、パソコン、食品表示ラベル、そして電車の車内ディスプレイに至るまで、これまで私はさまざまな場面や用途に合わせて、いくつもの書体をデザインしてきました。しかしそのどれもが、企業やそのユーザーの要望に合わせた文字の印象やバランスのデザインに終始していました。

デザイン以前に、読める文字がないことで、生活や学習に大きな負担を強いられている子どもたちがいる。

その事実を知り、大きなショックを受けたのです。

■UDフォントの開発を進める中で抱いた疑問

ちょうどその少し前に、私は取引先の企業から依頼を受けて、「UDフォント」の開発を進めていました。「UD」とは、「ユニバーサルデザイン」のことです。UDデジタル教科書体のUDも、同じ言葉からきています。

ユニバーサルデザインとは、文化・言語・国籍・年齢・性別・能力などの違いを問わず、より多くの人々が利用できるデザイン概念のことです。わかりやすい例だと、絵や図だけで情報を伝えるピクトグラムなどがあります。

高齢化が加速し始めていた当時、フォント業界でも「お年寄りが読みやすいように、字面が大きく、線が太くはっきりとした書体」の開発が、にわかに求められるようになりました。

ただ、私はUDフォントの開発を進めるうちに、ある疑問を抱くようになります。

「字面が大きく、線が太くて、読みやすい形状に変えたフォント。でもそれだけで、本当にユニバーサルデザインを実現していると言えるのだろうか……?」

■子どもたちが読める文字を、私が作る

そう思ったのは、特別支援学校で、ロービジョンの子どもたちが苦労する姿を実際に目の当たりにしたからです。

実はロービジョンの子どもたちが苦しめられているのは、「文字の小ささ」だけが原因ではありませんでした。教科書体の特徴である「とめ・はね・はらい」などの線の流れ、独特の線の細さ、書体ごとの形の違いなど、「文字を習う教育現場」だからこそ無視できない課題が山積していたのです。

それを知って、私は「これは社会の穴だ」と思いました。書体デザイナーとしても今まで気づけなかったことを申し訳なく感じました。

同時に、書体デザイナーとしての闘志が、心の底からめらめらと湧き上がるのを感じました。

読める文字がないのであれば、作ればいい。

誰に頼まれなくても、私が作ってみせる。

そう決意し、UDデジタル教科書体の開発に乗り出すことになります。

■UDデジタル教科書体が1人の男の子に起こした奇跡

構想からリリースされるまでに要した期間は、実に8年。その間、嬉しいこともつらいこともたくさんありました。「このまま世に出せずに終わるかもしれない」。そう絶望しかけたときもあります。

それでも諦めることなく、世に出すことができたのは、いっしょに汗を流して開発を進めてくれたデザイナーの仲間たち、さまざまな知見やアドバイスを与えてくださった研究者の先生方や支援者の方々、そして何よりも「文字が読めないせいで将来の可能性が閉ざされる子どもたちを一人でも減らしたい」という多くの方の切実な願いがあったからです。

UDデジタル教科書体の特徴
出所=『奇跡のフォント』

2016年のリリースから約7年が経った今、その願いがどこまで叶えられているのか。

私には正直わかりません。

ただ、わずかでも、必要としている子どもたちに届けられている。

そう感じられる瞬間もありました。

■いつも途中で読むのを諦めていた

UDデジタル教科書体の完成から3年が経った頃、私は仕事の関係で、障害のある子どもの教育や就労を支援している会社を訪れました。

そこでは発達障害、学習障害、ダウン症といったさまざまな困難を抱える子どもたちを支援する学習教室を運営していたのですが、あるベテランの女性スタッフの方が、こんな話をしてくれました。

「うちの教室に、ディスレクシアの小学生の男の子がいるんです。その子は普通の本や教科書では文字がうまく読めなくて、『どうせおれには無理だから』って、いつも途中で読むのを諦めていたんです」

その学習教室では、男の子のために、マルチメディアデイジー教科書(パソコンなどで文字の拡大、文字や背景色の変更、音声再生などが行える教材)を使って、授業を行っていました。

しかし、それでも彼の読みづらさは解消できなかったと言います。

■「おれ、バカじゃなかったんだ!」

「それで、あるときUDデジタル教科書体のことを知って、試しに教材のフォントを変えてみたんです。そしたら教材を見た瞬間、その子が『これなら読める! おれ、バカじゃなかったんだ!』って。暗かった顔がぱあっと明るくなって、その顔を見たとき、私、思わず涙がこみあげてきてしまって。その場にいたスタッフ皆、今まで男の子が悔しい思いをしてきたのを知っていたから……。みんなで男の子の周りに集まって、泣いてしまいました」

その子が人知れず背負ってきたつらさ。思うように学べない環境が放置されてきたことへの申し訳なさ。そして支援者の方たちが、UDデジタル教科書体を見つけて、役立ててくれたことへの感謝。

男の子の話を聞いたとき、私の心にさまざまな感情がどっとあふれ出てきて、思わず涙がこぼれそうになりました。

障害は、人ではなく、社会にある。

どうか、ロービジョンやディスレクシアの子どもたちが置かれている書体環境や困りごとに、もっと目を向けてほしい。

そう思った私は、女性が話してくれたエピソードを、3つのツイートに分けて書き記し、自分のツイッターアカウントから投稿しました。自分のフォロワーにいるデザイナー仲間に知らせたいと考えたからです。

■ものすごい勢いで拡散されたツイート

驚いたことに、このツイートは投稿した直後から、ものすごい勢いで拡散されました。

当時(2019年4月)、2万件を超えるリツイート、3万8千件の「いいね」がつきました。

「まさかこれほど大きな反響があるとは……」

私は嬉しさよりも驚き半分、拡散される怖さ半分という心境でした。

そしてアカウントに続々と届くコメントは、どれも切実なものでした。

“うちも小三の息子は障害があるため、字を書くのが苦手で漢字が覚えにくいそうで、すでに字を書くことすら嫌になってきてしまっています。フォントを変えることで子どもの中で何か変わるなら、うちも試す価値はすごく大きいと思いました!”

“まさに私、コレです! 読めないことはないが明朝体だと脳が拒否する感じがして読みたくない。私は運よく? 普通に教育を受けられて人並みにできてきたけどこういう症状があるんだってことが広まれば対処ができますよね”

高田裕美『奇跡のフォント』(時事通信社)
高田裕美『奇跡のフォント』(時事通信社)

“読みに困難のある人は日本にもたくさんいると思います。企業としてUDやアクセシビリティに取り組むことが企業の価値につながることを実感してほしいです。そして、ほかの企業にも広がってほしい。”

社会には、男の子と同じように、文字が読めずに苦しんでいる子どもたちが、まだまだたくさんいます。同時に、困難を抱える子どもたちの痛みに寄り添い、エールを送ってくれる人々もたくさんいるはずです。

思わぬきっかけから、アイデアが生まれ、試行錯誤し、何度も形を変え、世の中に放たれ、一人の男の子に届けられたUDデジタル教科書体。

そんな奇跡的な出会いが、一人でも多くの子どもたちに訪れることを願っています。

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高田 裕美(たかた・ゆみ)
書体デザイナー
女子美術大学短期大学グラフィックデザイン科卒業後、ビットマップフォントの草分けである林隆男氏が創立したタイプバンクに入社。書体デザイナーとして「TBUD書体シリーズ」「UDデジタル教科書体」などをはじめ、様々な分野のフォントの企画・制作を手掛ける。32年間のフォントデザイナーの経験を活かし、2017年モリサワ社に吸収合併後、書体の重要性や役割を普及すべく、教育現場と共にUDフォントを活用した教材配信、講演やワークショップ、教育系の雑誌や学会誌への執筆、取材対応など広く活動中。2023年に初の著書『奇跡のフォント 教科書が読めない子どもを知って―UDデジタル教科書体 開発物語』を時事通信社より出版。

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(書体デザイナー 高田 裕美)

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