「被災地を元通りに復興する」には異議がある…能登半島を生まれ変わらせる”創造的復興”というアイデア
プレジデントオンライン / 2024年2月17日 12時15分
■奥能登の人口はどんどん減り続けている
能登半島地震の復興について、「一日も早く元の地域や生活を取り戻せるように、政府はすべての資源を投入すべきだ」といった声が聞かれる。高市早苗経済安全保障相が2025年大阪・関西万博の開催延期を検討するよう岸田首相に進言したという報道もあった。
だが、あまりにも愚かである。そもそも、能登半島は極端な過疎化が進んでいた地域である。とくに被害が大きかった奥能登(輪島市・珠洲市・能登町・穴水町)の人口は、1950年に15万7860人だったのが、平成が始まった直後の1990年に10万4676人、2023年10月1日には5万5666人と激減した(※)。さらに、「石川県の将来推計人口」によると、2045年には2万9284人にまで減ると推定されている。
※「いしかわ創生総合戦略有識者会議」参考資料、「石川県の人口と世帯」より
震災がなくてもわずか3万人足らずしか住まないだろうと予想され、その数字は震災でさらに減ることが予想されているのに、それも承知の上で、情緒的に巨額の資金を将来において利用価値がますます減少するインフラ再建に漫然と投入することは馬鹿げている。
■安直な土木工事よりもすべき施策がある
さしあたっては震災関連死などを防ぎ、被災者が人間らしい生活を確保できるようにすることだが、復興については、すぐに人がいなくなるような限界集落を復元することではなく、能登半島の未来志向の将来ビジョンを描き、その実現のために安直な土木工事主体でなく、大胆な特区制度などを用意して目を見張るような前向きの地域づくりをすることだ。
珠洲市の見附島のように観光資源が修復不可能になってしまった一方、半島北部沿岸の「海岸段丘」のように自然の驚異を観察するのに好適な震災観光資源も生まれている。
それらも活用した「創造的復興」のためには、それなりの時間がかかるのは当然だ。そして、そのコンテキストの中で、これまでの分散居住から集住に移行していったほうが合理的だろう。
私は、阪神淡路大震災の発生時に国土庁の官房参事官だったので、直接の担当でないが震災復興にかかわったし、国土開発問題の専門家として阪神淡路大震災でも東日本大震災でも議論に加わり、同様の提言をしてきた。さらに、自然災害に限らず、新型コロナ禍などあらゆる災難に対して、「禍を転じて福と為す、千載一遇のチャンスという気持ちを持つ者こそが災難との戦争の勝者となる」と訴えてきた。
■東京は「創造的復興」によって近代都市に
それに対して、「不謹慎だ」とか「被害が広がっている最中に発言するのはやめて、一段落してからにしたらどうか」と言う人もいた。
しかし、歴史家として言わせてもらえば、一刻も早く“戦後”を構想し、嬉々として青写真を描いた者だけが真の勝者となれるのは自明の理である。
あらゆる災難や不幸は、打撃であると同時に「禍を転じて福と為す」チャンスでもある。関東大震災の時に復興の先頭に立った後藤新平は、これを「千載一遇のチャンスだ」といって復興に臨み、明治維新で無血開城したがゆえに近代都市になっていなかった東京を、帝都としてふさわしい近代都市に改造した。
昭和通り・靖国通り・明治通りといった幅の広い街路とか、隅田川の岸辺の公園、鉄筋コンクリート造りの同潤会アパートなどはその典型的な遺産である。
■「理想的帝都建設の為の絶好の機会なり」
そもそも、大改革は敗戦や大災害の災禍の焦土の中からしかできないのである。1923年9月1日に関東大震災が発生し、その翌日に成立した第2次山本権兵衛内閣で内務大臣に就任した後藤新平は、同月6日の閣議に「帝都復興の議」を提出した。
「今次の震災は帝都を化して焦土となし、その惨害言うに忍びざるものありといえども、理想的帝都建設の為の絶好の機会なり。この機に際し、よろしく一大英断をもって帝都建設の大策を確立し、これが実現を期せざるべからず。躊躇逡巡、この好機を逸せんか国家永遠の悔いを遺すに至るべし」と、災害が続き亡くなる市民も増える中で勇気ある指針を示し、伊東巳代治によって起草され、同月12日に発布された「帝都復興に関する詔書」に反映された。
ただ、土地の強制買い上げなど抜本的な対策は、東京の地主の既得権益を重視した伊東巳代治らの反対で実現しなかった。また、後藤は政府が直接責任を持つかたちで進めたがったが、復興院を置くという間接的な形になった。
第2次世界大戦の戦禍を被った東京は、後藤の復興計画のおかげで壊滅から救われた。それでも、昭和天皇は、「後藤新平が非常に膨大な復興計画をたてたが、いろいろの事情でそれが実行されなかったことは非常に残念に思っています。もし、それが実行されていたらば、おそらくこの戦災がもう少し軽く、東京あたりは戦災は非常に軽かったんじゃないかと思って、今さら後藤新平のあの時の計画が実行されないことを非常に残念に思っています」[1983年(昭和58年)記者会見]と述懐されている。そうした悔いを将来の世代に持たせてはならないのである。
■復興に成功した名古屋市、福井市
日本の主要都市は、戦災で大きな被害を受けたが、東京では、当時の安井誠一郎・東京都長官(のちに初代民選知事)がさしあたっての救援ばかりを優先させ、将来ビジョンを持たなかったので、高度成長期にパッチワーク的改造を強いられた。日本橋の上に高速道路を建設したのは、安井知事時代の「とりあえず元通りに」というなまくらな復興精神のツケを払わされた格好だった。
一方、名古屋では市中心部に「100メートル道路」(道幅が100メートルある道路。「久屋大通」と「若宮大通」の2本ある)などが建設され、近代都市として発展の基を築いた。1959年の伊勢湾台風でもこの地域は大きな被害を受けたが、その復興事業は高く評価されている。とくに、狭軌だった近鉄名古屋線を大阪線と同じ標準軌で再建したことで、大阪・名古屋の直通運転が可能となった。
また、大規模産業は、世界最新鋭の工場建設を進めることで、高度経済成長の原動力となった。たとえば、福井市は戦災と1948年の福井地震のダブルパンチを受けたが、工場を新設して基幹産業である織物工業を迅速に復旧させ、多くの雇用を生んだ熊谷太三郎市長(当時)の優れた再建計画は称賛されている。
■神戸市は精彩のない都市になり、人口が減少
それに対して1995年の阪神淡路大震災の復興はお粗末だった。まず、本来なら復興院のようなものをつくって国家事業とすべきだったが、兵庫県などが地方自治の本旨に従えと主張し、自分たちの権限にこだわったのは馬鹿げたことだった。現在は権限代行制度があり、本来は都道府県の仕事でも国に直轄でやってもらえるので活用すべきだ。
また、後藤田正晴氏が中心となって、「復旧は援助するが、もとより立派なものは地元の負担で」といった制限をしたため、神戸港を国際的に通用するハブ港湾とすることができず、韓国・釜山にその地位を奪われることになった。
そうした結果、神戸市は国際化の時代にふさわしい伝統を持っていたにもかかわらず、震災の前と比べてかえって精彩のない都市になり、2023年に22年ぶりに150万人を下回るなど人口が減っている。
東日本大震災の復興では、過去の反省もあって改善したところもある。阪神淡路大震災を神戸大学教授として経験した五百旗頭眞氏(当時防衛大学校長)が復興構想会議の議長となり「単なる復旧ではなく、未来に向けた『創造的復興』を目指していくことが重要である」としたし、震災復興税が導入されて財源が確保された。
■自家用車があれば、職住近接しなくてもよい
しかし、課題はまだある。たとえば、福島第一原発周辺はもともと原発の交付金があるので小さな町村が今も残っているのだが、これらを合併して従来の境界にこだわらない地域づくりをすればより未来志向になるのに維持し続けている。
三陸沿岸でも防災に強い町づくりが大事なのに、従来の町を再建して、それを巨大な堤防で囲むという建設的とはいえない復興をしているから、地域は衰退するばかりだ。
それでは、能登半島をどうすればよいかといえば、高齢化が進み人口が激減している限界集落をそのまま再建しても無駄である。
そもそも、農村・漁村の小集落での分散居住は、自家用車がない時代に職住近接のためにやむを得ずそうしていただけである。昔は、工場労働者は工場の近くの社宅に住んでいた。
しかし、自家用車があれば、職住近接の合理性はない。むしろ、日常生活、教育、医療や介護、保育を含む福祉などの水準を上げるには、そうした施設を利用しやすい単位で集住するのが賢明で、農作業をするときに車で出かければよいことだ。
全国の一般診療所は約10万カ所、歯科診療所やコンビニはそれぞれ約6万カ所しかないのだから、人口1000人を維持できない集落はかなり不便な生活を強いられざるを得ないのである。
人口1万2000人足らずの珠洲市には、小学校が9校あるが、全国平均では人口6000人で一学区だから思い切った統合が望ましい。
■農村や漁村は景観地区として厳選して保存
また、農水漁村の職住近接は、崖崩れや浸水など危険な土地での住まいを強いていたが、これは基本的には解消すべきものだ。津波が予想される土地で、高齢者や病人、子どもを中高層の建築以外に住ませておくのは危険である。
もちろん、美しい農村や漁村を観光資源として限定的に残すのはよいことだ。そうするのであれば、建築規制などをしっかりしてレベルの高い景観地区を形成すべきだろう。ヨーロッパや中国などと比べても、日本の歴史的景観の保全は中途半端だ。対象を絞り込んで中身の濃い保存が望ましい。
道路もこれまでの路線より安全性が高く、景観が優れたものを精選して確保するのが正しい。地域振興では、通常の産業振興、地域振興策に加えて、特区としての規制緩和を大胆に行うべきだ。
たとえば、加計学園問題で話題になった獣医学部は経済波及効果がある。愛媛県今治市に創設された岡山理科大学獣医学部はたいへんな人気だ。能登半島にもうひとつつくれば確実に成功するだろう。
■能登を「新・経済特区」にするアイデア
そのほか、従来の特区制度で提案されているようなものは、少し基準を甘くして柔軟に認めるのがよい。
能登半島のような半島では、思いきって中国本土と香港を結び「中国のシリコンバレー」と呼ばれている深圳(シンセン)のように国境類似の管理をするのはどうか。警察の検問を格別に厳しくすれば、かなり大胆な施策をしても不正な利用は限定的なものにできるだろう。
多くの人が社会保障の抜本的改革案として支持しているベーシックインカム(最低限所得保障)を、能登半島で思い切って有利な条件で実験するのも面白い。半島は、本当に現地に住んでいるかを把握しやすい土地だから最適だ。
輸入品を含めた免税ショップという案もある。海外旅行者が消費税を払わずに購入したブランド品を、関税もあまり厳しく取らず輸入させているのだから、能登半島でルイ・ヴィトンのバッグを条件付きで安く買えるようにしても、日本全体の市場に影響を与えることにはならない。ヨーロッパにおけるアンドラとかリヒテンシュタインといった国と同じだ。
自動車関係だって、国内の安全や環境規制から少し外れる車種について、地元さえ良ければ能登半島限定で認めてもよい。建材とかさまざまなものにも応用可能だ。
口蹄疫(こうていえき)で輸入禁止になっているイタリアの生ハムを限られたレストランで提供したらそれだけでも人は集まる。フグの肝臓とか生肉も同様だ。
■半島だからこそ規制緩和をコントロールできる
IRなどという大げさなものでなくとも、カジノ規制の緩和だってあり得る。パチンコの出玉規制をゆるくしてもよいのである。地元さえ良ければ、遊興産業を全国でもっとも緩い規制にしても構わないと思う。
大麻解禁は、世界的な流れからしていずれ議論にならざるを得ないと予想している。これも地元が同意したら特区で試行することもあり得ないわけでもない。
いずれも、訪問客や宿泊客に対して、過度なことにならないように枠をかけることが半島という地形でなら可能になる。
医療関係でも海外で認められている治療や薬品などを使えるようにしてもよいし、医師免許も海外の資格で医療行為を認めたらよい。海外と同じ治療を受けたい、続けたいという需要は高い。
外国人労働力は、目的を絞って地域限定で導入したらよい。たとえば、石川県輪島市白米町の千枚田などを外国人労働力の手作業で再建維持してはどうか。
■先進的な政策を導入できる格好の場所
私は、刑務所のコスト削減のために、軽犯罪者を対象に、離島や半島でGPSを装着させた上で、特定の時間帯以外は普通の日常生活をさせる選択肢もあると思うのだが、そんなことも可能だ。
ともかく、元に戻すことに拘泥したり、建設業が潤ったりすることばかりせずに、とくに半島という地形に着目することで、規制緩和などによってコストをかけずに経済振興を図る手立てはいろいろ考えられる。
上記のベーシックインカムなど全国で検討すべき政策や、半島という特性の地域のメリットを生かす実験場としてもよいと思うのである。
■莫大な労働者と資材を投入させるべきなのか
逆に、万博の延期といったような思いつきは論外だ。万博なんぞ意味ないといった議論は、誘致の際にすでに行われ、日本全体にとっても関西にとっても絶大な効果があるという結論を出して進めているものであるから、時局便乗でこの議論を再燃させるのは、維新への政治的攻撃ないし東京人などのエゴだ。高市経済安全保障相は地元・奈良の維新知事の強引なやり方に腹を立てているのかもしれないが、万博延期論は賛成しかねる。
狭くて宿泊整備なども乏しい能登半島に、短期間に莫大(ばくだい)な労働者と資材を投入して、数万人の生活を元に戻すという形で大急ぎでやることに合理性はない。
人命救助のために例外的なコストをかけるのには反対しないが、人生、不幸なことはいくらでも起き得るし、災害でなくとも立ち退きを迫られることだってある。そのたびに、元の生活を維持・回復するために糸目をつけずコストをかけてはいられない、ということは理解していただけるのではないか。
東日本大震災の被災地でも、被災者が戻ってくるだけでなく、新しい産業が興り新住民が入ってくることで新しい明るい展望が進みつつあるのだ。
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徳島文理大学教授、評論家
1951年、滋賀県生まれ。東京大学法学部卒業。通商産業省(現経済産業省)入省。フランスの国立行政学院(ENA)留学。北西アジア課長(中国・韓国・インド担当)、大臣官房情報管理課長、国土庁長官官房参事官などを歴任後、現在、徳島文理大学教授、国士舘大学大学院客員教授を務め、作家、評論家としてテレビなどでも活躍中。著著に『令和太閤記 寧々の戦国日記』(ワニブックス、八幡衣代と共著)、『日本史が面白くなる47都道府県県庁所在地誕生の謎』(光文社知恵の森文庫)、『日本の総理大臣大全』(プレジデント社)、『日本の政治「解体新書」 世襲・反日・宗教・利権、与野党のアキレス腱』(小学館新書)など。
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(徳島文理大学教授、評論家 八幡 和郎)
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