なぜ賃上げなのに「海外なんて高くて行けない」と感じるのか…前代未聞の経済実験「円劣化バブル」の危うさ
プレジデントオンライン / 2024年4月1日 11時15分
■賃上げムードが高まっていることは確か
日経平均株価は3月決算配当権利落ちの3月28日にも4万円台を維持し、新年度相場入りした。1月4日の3万3288円から3カ月で20%も上げる急伸ぶりだが、それほどまでに株式市場は日本経済の「復活」を見込んでいるのだろうか。
3月28日に2024年度の予算が成立したのを受けて記者会見した岸田文雄首相はこう述べた。
「まず賃金が上がる。その結果、消費が活発化し、企業収益が伸びる。それを元手に企業が成長のための投資を行うことで、生産性が上がってくる。そして、それにより、賃金が持続的に上がるという好循環が実現する」「今、我々は、デフレから完全に脱却する千載一遇の歴史的チャンスを手にしています」
安倍晋三内閣以来、10年以上にわたって言い続けながら実現しなかった「経済好循環」を達成すると力強く宣言したのだ。
確かに大企業を中心に賃上げが進んでいる。連合が3月15日に公表した春闘の第1回集計では、賃上げ率が5.28%と1991年以来33年ぶりの5%超えとなった。第1回集計は積極的に賃上げに応じた大企業が多く含まれるので、最終的に全体で5%を超えるかどうかは微妙だが、前年に続いて賃上げムードが高まっていることは確かだ。
■物価上昇率を賃上げ率が超えられるかが焦点
だが一方で、物価も上昇を続けている。総務省が3月22日に発表した2月の消費者物価指数は、「生鮮食品を除く総合」で前年同月比2.8%の上昇だった。政府は巨額の補助金を投じてガソリンや電気料金の抑制を行っているから、実態を見るには、その効果が除外される「生鮮食品及びエネルギーを除く総合」指数がふさわしいが、これは3.2%上昇している。
中小企業の賃上げは大手並みとはいかないので、この物価上昇率を賃上げ率が超えられるかどうかが大きな焦点になっている。いくら名目の賃金が上がっても、物価上昇に追いつかなければ、消費量を増やすことは難しいから、岸田首相のいう賃金上昇の結果「消費が活発化」することには繋がらない。
今、政府も日銀も歴史的に稀な「実験」を行っている。物価の上昇を許容することで経済好循環が始まる、としているのだ。岸田首相の発言にもそれが表れている。「物価と賃金の好循環を回し、新たな経済ステージに移行する」と言うのだ。新たなステージとは、「賃金が上がることが当たり前という前向きな意識を、社会全体に定着させ」ることだ、というのだ。
■経済政策的には過去にない実験をしている
本当に「物価が上がれば、賃金が上がる」のか。確かに、儲かっているのに賃上げをせず、内部留保を蓄えてきた大企業は、物価上昇で困窮する社員の不満を和らげるために賃上げをする余力があるのだろう。だが、多くの中小企業は物価上昇の中でそれに上乗せして賃上げを行う余力に乏しい。
政府は企業に対して、コスト増加分を価格に転嫁することを「奨励」している。下請け会社の納入価格引き上げを受け入れるよう中小企業庁や公正取引委員会を使ってハッパもかけている。だが、考えれば分かることだが、そうして価格転嫁が進めばさらに物価が上昇するわけで、結局は賃金上昇率が物価上昇率に追いつかないということになるのではないか。物価を上昇させれば「物価と賃金の好循環」が起きるというのは経済政策的には過去にない実験である。
日本銀行はゼロ金利政策の解除を決めた。これで金利上昇が起きるのかと思いきや、植田和男総裁は「マイナス金利政策を解除しても当面緩和状態は続く」と発言している。通常は物価上昇、つまりインフレを抑えるために金利を引き上げるというのが教科書通りの手法だが、金融緩和状態が続くという。この発言を受けて、外国為替市場では円安が進んでいる。マイナス金利を解除すれば日米金利差が縮小して円高になると言ってきたエコノミストや為替アナリストの見立ては外れることとなった。ドル円相場は1ドル=152円直前まで円安が進み、1990年以来34年ぶりの円安水準になった。
■円安政策は日本人を貧しくしているだけではないのか
政府と日銀は一体となって「円安・物価引き上げ」政策を採っていると見ていいだろう。円安が進めば、輸入物価は上昇し、タイムラグを置いて消費者物価が上昇する。岸田首相が言う「物価が上がれば、賃金が上がる」という理論を実践しているようにみえる。
だがそうした円安政策は、日本人を貧しくしているだけではないのか。1ドル=151円台後半が34年ぶりと報道されているが、これは正しくない。34年前の1ドルと現在の1ドルではまったく価値が違うからだ。しかもここ数年の米国でのインフレによってさらにドルの価値は下がっている。つまり、日本円の価値は34年前どころかさらに下落していると見るべきなのだ。
それを示すのが「実質実効為替レート」。円の実力を示す指数だ。これによれば、2020年を100とした指数で2024年2月は70.25と2023年11月の71.44を下回って過去最低を記録した。1ドル=360円だった1970年1月の75.02を大きく下回っているのだ。円の力は1ドル=360円時代よりもさらに劣化していると言える。海外へ行ってレストランに入れば、日本円の弱さを痛感する。
■日本の株高も物価高も「円の劣化」で説明がつく
逆に言えば、日本の株高も物価高も「円の劣化」の反映と言える。円建ての株価が大きく上昇しているが、ドル建てで見れば上昇率が低い。もちろん前述のようにドル自体も劣化しているから、それでも過剰評価かもしれない。例えば、世界史上の初期から通貨として価値保存に使われてきた金1グラムの円建て小売価格は、1月4日に1万375円だったものが3月27日には1万1773円になった。13%も上昇しているわけだ。日経平均株価の20%の上昇のうち、13%は「円の劣化」で説明が付くということになる。
つまり、株価が大きく上昇しているのは、日本経済が復活すると世界の投資家が見ている結果というわけではないのだ。
今、日本株やマンション価格の高騰を「バブルだ」という人がいる。だが1980年代後半のバブルを知っている人からすれば、その様相はまったく違うと感じるだろう。当時、土地や株価など資産価格の上昇は広く一般庶民の消費行動も大きく変え、まさに消費バブルが起きた。1台500万円以上の高級車が飛ぶように売れ、日産の自動車の名称から「シーマ現象」と呼ばれた。消費に一気に火がつき、企業収益も一気に改善した。その後の大幅な金利の引き上げや不動産融資の規制強化で一気に「バブル」が潰れることになる。
■今がバブルだとすれば「円劣化バブル」だ
今の株価上昇を「バブル」だと呼ぶとすれば、かつてのバブルとはまったく様相の違う「円劣化バブル」と言えるだろう。そんな円劣化が悪性のインフレ(物価上昇)に火をつければ、一般庶民の生活は一段と苦しくなる。そうなれば、消費を増やすどころか、生活を守るために倹約に拍車をかけ、消費を抑える方向に行く。もちろん、株高の恩恵を受ける富裕層は消費を増やすかもしれないが、日本経済全体としての好循環が始まるのかどうか。
円の劣化はドルなど外貨で稼げる企業や人の収入を実態以上に大きく見せる。つまり、海外子会社が同じ利益を上げていても、円安が進めば円建ての利益は増える。しかし、大半の企業は日本円に転換して利益を国内に持ち込むわけではないので、日本の従業員の給与が増やせるわけではない。また、日本国内だけで商売をしている会社やそうした企業の従業員は、円の劣化によるコスト上昇を価格に転嫁すれば、販売自体が落ち込むことになりかねず、値上げすらできない。国内型産業は、円の劣化がモロにマイナスになる。
物価上昇を起こせば賃金が上がり、生活が良くなる――。今政府が進めている「壮大な実験」がどんな結果をもたらすことになるのか。その結果が出る時に日本の国民がどんな影響を受けるのか、今の段階では見通せない。
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経済ジャーナリスト
千葉商科大学教授。1962年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。日本経済新聞で証券部記者、同部次長、チューリヒ支局長、フランクフルト支局長、「日経ビジネス」副編集長・編集委員などを務め、2011年に退社、独立。著書に『国際会計基準戦争 完結編』(日経BP社)、共著に『株主の反乱』(日本経済新聞社)などがある。
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(経済ジャーナリスト 磯山 友幸)
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