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アマゾンの「購入ボタン」は「購入」ではない…手軽なワンクリックに隠された「複雑すぎる法解釈」

プレジデントオンライン / 2024年4月16日 10時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Liudmila Chernetska

アマゾンで電子書籍を購入したとき、所有権は誰のものになるのか。コロンビア大学のマイケル・ヘラー教授とカリフォルニア大学のジェームズ・ザルツマン教授は「サイト上では『購入』となっているが、実際は購入ではない。実際はAmazonからほんのわずかな権利が分け与えられただけだ」という――。

※本稿は、マイケル・ヘラー、ジェームズ・ザルツマン『Mine! 私たちを支配する「所有」のルール』(早川書房)の一部を再編集したものです。

■デジタルコンテンツは誰のものか

デジタルの世界と自然界には共通点が数多くある。どちらも所有権がないというベースラインからスタートした。誰も所有していないということは、新しく出現した資源の特徴である。その資源を所有しようとする競争が始まった瞬間から、所有権をどう設定するかという問題が生じる。どの所有権ルールが最も効率的だろうか。最も公平だろうか。最も自由裁量の余地を広げ持続可能性を確保できるだろうか。

まったく同じ問いに、いま私たちはデジタルの世界で直面している。ただし自然界の資源とバーチャルの資源の間には重要な違いがある。これまでのところ、各国政府はデジタルの所有権に関して主導権を握ろうとはしていない。本来はそうすべきなのだろうが、いまのところは介入していない。

■企業が自分たちに都合のいいルールを作っている

デジタルの世界で所有権の最前線に立っているのは企業である。彼らは戦略的あいまいさといったツールを駆使し、ベースラインを定め、オプトイン/オプトアウトを設定する。何かをしようと決めたら、企業は法律ができるのを待ったりいちいち許可を申請したりはしない。彼らが突然新しいルールを持ち出してきたときには、公共の目的に寄与するのではなく、必ず彼ら自身の利益が最大化されるようになっている。

だからといって、それが必ずしも悪いとは言えない。実際、デジタル・イノベーションは30年前から現代の経済を牽引してきた。だがこの活力は代償を伴う。

■iTunesから突如消えた映画は補償されるか

アンドレス・G・ダ・シルヴァはそれを知って仰天することになる。大勢の消費者と同じくダ・シルヴァもアップルのiTunesのアカウントで映画を購入した。ところが驚いたことにある日、自分の購入した映画3本がアカウントから消え失せていたのである。

アップルに問い合わせたが、カスタマーサービスの対応にまったく満足できなかったため、ダ・シルヴァはやりとりを多少脚色してツイッターに投稿した。それは大いにバズったものである。

:購入した映画3本がiTunesライブラリから消えてしまったんですが。
アップル:たしかにそれらの作品は現在視聴不可となっております。ご購入いただきありがとうございました。2作品分のレンタルクーポンをお送りします!
:え……なんですって? ティム・クックはこんなことを承知しているんですか?
アップル:お客様、私どもは販売窓口でございまして。
:窓口?
アップル:はい。お客様にお支払いいただきました代金はたしかに頂戴しております。ですが販売したものに関しましては、私どもはいかなる責任も負いません。また私どもは、お客様が購入されたものをずっと所有できるという保証はいっさいしておりません。私どもに保証できるのは、代金はたしかに頂戴したということだけです。

■アマゾン、アップルの似て非なる所有権の考え方

アマゾン、アップル、グーグルらは、デジタルコンテンツを所有することの意味を変えて利益を上げている。人類は歴史の大半を通じて、農地、馬、ハンマー、パンに支配される世界に生きていた。その世界で所有するのは有形の物理的なモノだった。自分の土地は踏みしめることができたし、自分の持ち物はつかむことができた。

あなたが何かを所有していたら、ほとんどの場合、他人がそれを所有することはできない。そのモノはあなたの支配下にあり、煮て食おうと焼いて食おうとあなたの勝手である。他人を排除できるというこの本能的な感覚こそが所有権について多くの人が抱くものだったし、今日でもそれは変わらない。つまり所有権はオン/オフ・スイッチのイメージである。それは私のものだ、触るな!

インターネット企業はこのことはよく承知しており、所有についての人々の理屈抜きのこうした直観的オン/オフ反応を巧みに利用している。しかし彼らのやり方は、オン/オフとは似て非なるものだ。

■ショッピングサイトの「購入ボタン」に隠された意味

インターネット上の市場には、小さなショッピングカートのアイコンが用意されている。そこで私たちは、これはスーパーマーケットでおなじみのあれと同じだと考えやすい。買いたい品物をカートに放り込み、レジへ向かう。オンライン市場は、物理的占有が所有権に直結する世界を注意深く真似て作られており、占有がもたらす愛着を誘発するようにできている。これにだまされてはならない。

最近行われた調査によると、回答者の83%は、デジタルコンテンツを物理的なモノと同じように所有していると考え、自分の好きなように扱ってよいと誤解しているという。友達に貸してもいいし、何度でも好きなだけ使えるし、売っても寄付してもいい。あるいは切り貼りしたり他のものと組み合わせたりして、マッシュアップの楽曲やコラージュを制作してもいいのだ、と。

この調査を実施した研究者はこう述べている。「ウェブ上の購入(buy)ボタンにはいろいろな意味が込められている。“貸す”とも“条件付きアクセスを提供する”とも言わずに“買う”としてはあるものの、その意味は消費者の大半にとって非常に特殊であり、デジタルコンテンツの場合には通常の“買う”は当てはまらない」。

購入ボタン
写真=iStock.com/Carkhe
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Carkhe

■オンラインでは「占有」は意味をなさない

ほとんどの場合、デジタル作品を再使用・転売・寄付・改変することには厳しい制限がついている。オン/オフ・スイッチはデジタルの世界には持ち込まれていない。自分のものとして占有するというあのおなじみの象徴的行為は、オンラインでは意味をなさない。

むしろ占有は、消えゆくシステムの名残りというべきだろう。私たちはこの新しい現実に直面せざるを得ない。買うか借りるかという古くからある選択とはまた違い、オンラインでの所有はもっと奇妙に感じられる。すでに述べたように、スイッチではなく、むしろ調光ダイヤルや音量調節つまみのような調整ダイヤルのイメージだ。

インターネット経済はイノベーションに満ちているとよく表現され、「前例のない」とか「比類のない」といった形容詞がひんぱんに使われる。となると、バーチャル経済は人類の歴史においてまったく新しいものだとつい考えやすい。たしかにそういう面はある。だが所有権に関する限り、さして目新しいとは言えない。

■所有権は「薪の束」のようなもの

法律家は所有権を薪の束に擬えることがある。1世紀ほど前に初めて使われたこの比喩は、法学教育にも法律実務にも大きな変化をもたらした。所有権というものは個人間の権利の集合であって、分けることもできればまた一緒に束ねることもできるというイメージを植え付ける点で、なかなか有効な比喩だと言えよう。

ある資源について「私の!」と主張するとき、あなたは薪の束を一束そっくり持っているつもりだろう。だから、薪を何本か売ることもできれば、貸すこともでき、抵当に入れる、使用許諾する、捨てる、燃やす、何をしてもいいと考える。だが実際には、何本かの薪を持っているだけであることが多い。

たとえば土地を所有する場合、地主がいて、融資する銀行がいて、賃貸料を払うテナントがいる。通行権を持つ隣人、立ち入り許可を持つ配管工、採掘権を持つ鉱山会社も関わってくるだろう。

これらの当事者はそれぞれ束の中の薪を一本ずつ持っている。それに、薪を束で持っていたら何でも許されるかと言えばそうではない。他人に迷惑をかけることは許されないし、その土地を犯罪目的で使用すること、どんな形であれ人種差別をすることも許されない。

薪
写真=iStock.com/Joe_Potato
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Joe_Potato

■「購入ボタン」で得られるのはわずかな権利だけ

ダ・シルヴァが身をもって知ったように、オンラインで買うということは薪を束ごと買うことではない。買えるのは2本かせいぜい3本だけである。残りの薪は誰が所有するかについて、売り手はちゃんと明確にしている。アマゾンの映画の購入ボタンを押したら、あなたが手に入れるのは「非排他的・譲渡不可・再使用許諾不可の……個人的な非商業目的の私的使用に限定された使用許諾」である。

いったいこれは何を意味するのか。法律用語をすべて取り除いたら、たいした意味はなくなる。要するに、あなたは「譲渡・複製・展示」する権利は獲得していない(アマゾンがとくに許可すれば話は別である)。また、購入品を「転売・貸与・賃貸・配布・放送」する権利もない。つまり薪の束の大半はアマゾンが握っている。購入ボタンを押して手に入るのは、ほんの数本の薪だけなのである。

iTunes、Kindleなどのライセンスは大なり小なり同じやり方で、つまり非常にわかりにくい方法で運用されている。あなたの所有権の制限条件は、ウェブサイト上できわめて読みにくい法律用語を使って懇切丁寧に説明されているが、そんなものは誰も読まないし、読んだところで理解できまい(法学教授である私たちも、である)。

にもかかわらず、多くの人がかんたんに購入ボタンを押す。買い物で生活を楽しくしたいのだ。ライセンス契約の条項をしっかり読んだとしても、難解すぎるし、交渉の余地はないうえ、のべつ変更される。

売り手はそうしたいと思ったら、あなたに知らせずに改定する権利がある。購入ボタンを押した瞬間に、あなたは事前通知なく行われる将来の改定まで了承すると同意したことになる。だがその改定はあなたの所有権の範囲を変えてしまうかもしれない。

■不透明なライセンス契約の弊害

インターネットの高速化とクラウド・ストレージのローコスト化が進むにつれ、ますます多くのモノやサービスがネット空間に流れ込んでいく。そして毎日聴く音楽にも買い込んだ本にも不透明なライセンス契約が適用されるようになる。コーヒーメーカーやサーモスタットからセキュリティシステムや音響システムにいたるまで、モノのインターネット全体にそうしたライセンス契約の効力がおよぶことになるのである。

ブラウンの電動歯ブラシOral-Bのアプリがあなたの歯ブラシを操作不能にしたとしても(実際にそういうことがあった)、まあたいした問題ではないだろう。だが糖尿病患者のモニターやペースメーカーやホームセキュリティの所有権構造に驚きの変化がもたらされたら、ことは命に関わる。

薪の束という発想は、所有権設計の技術を構成する重要な一要素である。購入ボタンは、束の設計を大幅に変更した一つの例に過ぎない。私たちがオンラインで関わり合う企業は、所有権エンジニアリングの達人であることを忘れてはいけない。だから彼らは利益を上げられるのだ。政府はそれを容認している。

たぶん消費者である私たちはアップルの有名な古いスローガン“Think Different(ものの見方を変えろ)”に適応する必要があるのだろう。

■「デジタル所有」の代償

まず私たちは、自分が所有しているつもりのものと実際に所有しているものとの差がどんどん広がっていることを認識しなければならない。両者の差の拡大は、けっして偶然ではない。デジタル所有権の巧妙なごまかしの結果なのだ。私たちは、実際以上に多く所有していると思わされている。オンラインで買うときに「私の!」と感じる原始的な感覚も所有の範囲も、実態を伴っていない。

この新しい世界はどのような代償を伴ったのだろうか。

一つは、オンラインでの所有権の集中化である。かつて物理的な所有権は分散していた。本であれば、多くの人が有形の紙の本を所有していた。同じ本が多数存在するので、記憶は保存され拡散される。

翻って今日では、本も映画も姿を消そうとしている。薪の束を所有しているのは一握りの企業だけで、それ以外の人は薪を一本持っているだけだ。ある日クラウドのどこかでボタンが押されたら、薪すなわち本の複製は一斉に消滅しかねない。

■「超限定的ライセンス取得ボタン」にしても意味はない

もう一つの代償は、自由の侵食である。

物理的なモノの場合、所有権は通常広い範囲の選択肢を自動的に個人に与えることになる。あなたが本を所有しているとき、繰り返し読んでもいいし、誰かにプレゼントしてもいい。友人に貸しても、文鎮として使っても、気に入った箇所を切り抜いてスクラップブックに貼ってもいい。いちいち誰かの許可を得る必要はない。そうしたかったら、抗議の証として本をシュレッダーにかけたっていいのだ。書店にも出版社にもそれを止めることはできない。

だがオンラインの購入ボタンを押すときには、こうした自由の大半を失う。売り手はあなたのふるまいが気に入らなかったとき、薪を消去することができるし、端末を文字通りレンガにしてしまうことができる。

マイケル・ヘラー、ジェームズ・ザルツマン『Mine! 私たちを支配する「所有」のルール』(早川書房)
マイケル・ヘラー、ジェームズ・ザルツマン『Mine! 私たちを支配する「所有」のルール』(早川書房)

テクノ封建制度と自由の喪失は、容易に解決できる問題ではない。オンライン・コンテンツに関する限り、アマゾンに購入ボタンの使用を禁じることは可能だろう。代わりに、「超限定的ライセンス取得ボタン」といったボタンにするよう命じる。これなら消費者をだましたことにはならないだろう。

また目立つようにでかでかと「お買い上げいただきましたこの映画は、完全にはお客様の所有物ではございません。作品の貸与は禁じられております」と注意喚起するよう命じることも可能だと考えられる。こうすればすこしは役に立つかもしれないし、すくなくともやってみる価値はあるだろう。

だが情報を消費者に押し付けてもさして効果がないことは、多くの調査で証明されている。私たちは、あまりうれしくない所有権の細部にすぐに慣れてしまう。デジタル経済が欲しいときに即座に多くの楽しみを与えてくれるのだから無理もない。

■われわれは「小枝一本」しか与えられない

CDに代わってストリーミング・サービスが優勢になった理由はまさにそこにある。壁際にずらりと宝物のCDが並ぶ光景にノスタルジーを覚える人もいるかもしれないが、多くの人はスポティファイ(Spotify)のクリックひとつで選べる膨大なライブラリと強力なおすすめ機能のほうを好む。

消費者としてもメリットが大きい。薪のライセンスを得るほうが束を持つより安上がりだからだ。企業は消費者がその瞬間に欲しがるものを提供することによって収益を最大化する。そして消費者は、実際以上に所有していると感じて満足する。

未来を予言してみようか。そう遠くない将来に、所有権が完全にそろった束は一握りの企業に集中し、ふつうの人はライセンスやアクセスを許諾する小枝一本だけを与えられるようになるだろう。そうなると、モノやサービスと人間とのつながりはごく希薄にならざるを得まい。そのような世界で生きるとはどういうことだろうか。

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マイケル・ヘラー コロンビア大学教授
コロンビア大学ロースクールのローレンス・A・ウィーン不動産法担当教授。所有権に関する世界的権威の一人。著書に『グリッドロック経済』など。

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ジェームズ・ザルツマン カリフォルニア大学教授
カリフォルニア大学ロサンゼルス校ロースクールとカリフォルニア大学サンタバーバラ校環境学大学院で、環境法学特別教授を務める。

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(コロンビア大学教授 マイケル・ヘラー、カリフォルニア大学教授 ジェームズ・ザルツマン)

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