「人生を変える一瞬」はある…世界一のフリークライマー・平山ユージが「3週間は放心状態だった」という登攀の記憶
プレジデントオンライン / 2024年5月4日 7時15分
■まるで「ミニチュアの世界」を見ているようだった
(前編から続く)
サラテのオンサイトトライを開始してから、数時間がすでに過ぎていた。
着実に高度を上げていく平山は、壁に現れる様々な難所を、その強靭(きょうじん)な肉体と発想力によって、一つひとつ乗り越えていった。
登攀(とうはん)の途中、ふと「壁の外」を見ると、遥か下にミニカーのように車が走っている様子が見えた。木々も丸い点になったようで、まるでミニチュアの世界を見ているようだった。そんな風景を眺めると、少しだけ気持ちがすっきりとした。
壁は、想像以上にクリアに見えていた。何しろこの2年間、サラテのことを考えない日はなかったのだ。ハードなトレーニングによって、考えられる限りの「未知」を減らそうとしてきた。何度も繰り返し双眼鏡で眺めてきた「壁の中」にいると、クライミングの発想やアイデアが自然と生まれ、それが体の動きへと変わった。
■「未知」に対処した先に見える景色とは
クライミングにおける「心」の状態は、身体能力の高さと連動している、と平山は解説する。「フィジカルのポテンシャル」が高まれば高まるほど、今まで難しいと感じていたことが簡単になる。それだけ心理的な負荷も小さくなる。それでもなおストレスを感じるポイントでは、テクニックによってプレッシャーを和らげる。
技術と体力と心が三位一体となり、それぞれを行き来しながら、目の前の課題を数学の問題に取り組むように解き明かしていく。そんな感覚が自分の中で上手く循環しているのを、このときの平山は感じていた。
平山にとってオンサイトとは、「自分自身を最大限に表現できる」と感じられるクライミングのスタイルだった。
創意工夫と鍛え上げた肉体によって「未知」に対処した先に、自分がどのような景色を見るのか。垂直の壁と全身で取り組むという行為は、平山にとって自分が求めている「何か」を与えてくれる行為だった。
一つの難所を乗り越える度に、平山は自分の裡で世界が押し広げられ、可能性が膨らんでいくのを感じた。
■これまで感じたことのない疲労があふれ出る
例えば、7ピッチ目に「11c」という難易度のスラブ(角度が90度以下の傾斜)があった。他のクライマーによって繰り返し登りこまれた跡があり、斜面は想像以上に滑りやすくつかむ場所がなかった。
平山がほぼフットホールドだけでそのスラブを登ると、次にクライムダウン(ロープにぶら下がらずに、自分の力で下りること)する「10d」ほどの箇所が現れた。「ステファントラバース」と呼ばれるその難所を手探りで降り、再び長い登りが始まる。
平山が自身の「限界」の領域にクライミングが差し掛かったと感じたのは、そうして23ピッチから24ピッチ目の登りに向かう「モンスターオフィズス」という大きなクラック(岩場)にたどり着いたときのことだった。クラックに体を半分ほど入れ、岩の間に挟まるようにして登る箇所だ。
標高が上がったことで、少しずつ花崗岩の岩にもざらりとした感触が強くなってきていた。その頃になると、平山は自身がこれまで感じたことのない疲労を感じ始めていた。身体を動かす度に腕や足につる感覚があり、蓄積された疲労が筋肉の内側からあふれ出してくるようだった。
■サラテの壁に響き渡った「雄たけび」
「そこまで来ると、すでにいくつかのステージを超えてきているので、身体や発想が覚醒してくるところもあったんでしょうね。いろんな状況に対する未知への処理が、とても自然に行えていく感じがありました。
未知そのものに慣れてきた、というのかな。そもそも24ピッチなんていう長さは、実際に登った経験のあるクライマーは限られています。しかも、それをオンサイトでやっているわけで、知っているルートの24ピッチとは違うわけです。世界中でもその疲労感を知っているのは本当に一握りだと思います。自分自身も初めて知る疲労感でした」
だが、そんな身体が感じる疲労とは裏腹に、思考は未だ冴えわたっていた。
「モンスターオフィズスのクラックは、自分のクライミング経験でも初めてのシチュエーションでした。でも、なぜか『落ちないだろうな』という感覚がありました」
だが――。
「テフロンコーナー」と呼ばれる箇所で、平山はこのオンサイトトライでの初めてのフォールを喫する。
そのとき、サラテの壁に雄たけびが2度、3度と響き渡った。
■一気に広がっていく「ネガティブなイメージ」
「難易度的にはそれほど高くない箇所なのですが、どろどろの壁だったんですよね……。草がばあっと生えていて、壁面にも土が乗っていた。そのとき、少しだけ気持ちが萎えたというか、ネガティブなイメージが一瞬、自分の中に生じてしまった。それで足が滑ったのですが、要するに頑張り切る動きを引き出し切れなかったんじゃないか、と思います」
サラテでのクライミングでは、平山のオンサイトトライをアメリカ人のハンス・フローリンと鈴木隆英という二人のクライマーがサポートしていた。一度、二人のいる場所まで降りた平山は呆然自失となった。
胸には一瞬のうちに生じた「ネガティブなイメージ」が一気に広がっていった。
「いや、ユージ。まだこっちからいけるよ」
鈴木が言った。
当初、想定していたオリジナルルートでのオンサイトは終わったが、フォールを喫したピッチには幸いにも二本のルートがあった。よって三人のいる場所からは、もう一本のバリエーションルートがまだつながっていた。フリークライミングのルールでは、ルートを新しいラインに変えてクライミングを続ければ、オンサイトは続行されるということになる。
だが、平山は鈴木の提案を、すぐに受け入れられる気持ちにはなれなかった。フォールを喫した現実を咀嚼するのに時間がかかったからだ。
■物を取るだけで腹筋がひきつる状態
700メートルというクライミングを続けてきた結果、強烈な疲労が全身を覆っていた。状態はさらに悪化し、物を取る動作をしただけでも腹筋がひきつる。フォールする寸前は手も岩をつかむ形のまま固まってしまい、指を岩に押し当てて伸ばさなければ次の動作に移れなくなっていた。
自分の身体がそのような状態のなかで、果たしてバリエーションルートに切り替えたところで、オンサイトを成功させることができるのか。身体の回復を持つことができない以上、自身を内側から突き動かす心の状態を作り出す必要があった。
平山はそれから1時間ほど、自分が何をすべきかを考え続けた。バリエーションルートに取りつける精神状態になるまでに、それだけの時間がかかったということだ。
「正直、投げ出すつもりにはならなかった。サラテの物語をここで終わらすことは、できないとは思っていた」
と、平山は言う。
「これだけのことをやってきた、という自分の思いも当然ありましたが、それ以上にあのとき頭に浮かんできたのは、この挑戦を応援してくれてきた人たちのことでした。ここで諦めてしまう無念さ、これまでにかけてきた時間、そして、サポートをしてくれている二人のクライマーや下にいる妻、スポンサー探しをしてくれたマネージャー、上で待ってくれているカメラマンさんやその家族……。巻き込んできたいろんな人たちの顔が、次から次に浮かんできました」
■「無理」と思う自分を、1時間かけて「無理じゃない」に変えた
「疲労の状態から言えば、普段なら『無理』と100回くらい言っているような状況でした。でも、彼らのことを考えているうち――不思議なものですよね――、フォールによって生じた無念さに覆われていた心に、少しずつ温かいものが流れ込んでくるような感覚を覚え始めたんです。
だから、僕はこう思うことができた。このストーリーをまだ終わらせてはいけない、って。自分がいまベストを尽くせば、自分も報われるし、みんなも報われる。そんなふうに『無理』だと思う自分を、『無理じゃない』というところに1時間かけてなんとか持っていけた」
気持ちを立て直した平山は、バリエーションルートに取りついた。新しいルートはフォールしたラインを右に外れていくもので、難易度はさらに上がる。ここで再び落ちれば、それで平山のサラテでのオンサイトトライという挑戦は終わる。だが、それまでは挑戦を続ける――これが最後のチャンスだと彼は自分に言い聞かせた。
平山が「人生を変えるワンムーブだった」と語る瞬間がやってきたのは、そこから二本のピッチを登り、27ピッチ目のクライミングに取り掛かっていた時のことだった。
時刻はすでに17時を回っていた。クライミングを開始したのが朝5時だから、すでに12時間が経過していた。太陽は徐々に沈み、周囲には日中にはなかった冷気が漂い始めていた。身体は悲鳴を上げているが、まだ「心」と「技術」が彼のクライミングを支えていた。
■自分を外側から見ているような気持ち
27ピッチ上に表れる最初の難所を越えた平山は、次に体を左へと移していく先の大きめのホールドを見据えた。
「最初は『どうするんだろう』と思いました。オンサイトだから、それが分からない。でも、グレーの壁をじっと見つめていると、徐々に見えてくる起伏があった。ここに足が乗せられる。ここには何もない……って。距離としては、自分のいる位置から手を伸ばして170センチほど。そこから30センチくらい先に大きなホールドがあるから、ここに手を置いて、こう手を出して倒れ込んでいけば何とかなるかな、と思いました」
当時の動きを再現しながら、平山はそう振り返る。
「あのときは周囲の全てが遮断され、極限まで集中していました。みんなの思い、自分がこれまで2年やってきたこと、これまでのクライミング人生の全てを背中に背負いながら、物事を考えていたんだと思います。そして、手を伸ばした時は、その思いが指先の方に電気になって通じていくような感覚を覚えました。それからは、まるで自分を外側から見ているような気持ちでしたね。頭に思い描いたイメージが目の裏に映っている、と言えばいいのかな。意識の主体が現実にいる自分ではなく、思い描いている方の自分にあるような――」
気づいたとき、上の方から声が張り上げられるのが聞こえた。頭上の終了点で待つ二人のカメラマンが叫んでいた。
「越えたんだ!」
と、平山は思った。
■平山ユージの人生を変えた「一瞬」
――結果的に、平山はこのサラテでのオンサイトを達成することはできなかった。翌日、ビバーク(野営)した地点からクライミングを再開した後、「ヘッドウォール」という箇所で二度目のフォールを喫してしまったからだ。
しかし、初回のフォールの時のように、平山は呆然とするようなショックは受けなかった、と話す。落ちた箇所を再び登り直し、辺りの暗くなった20時に頂上にたどり着いたときは、「限界」を超えて全てを出し切ったという充足感が胸には満ちていた。
その理由について、
「あの27ピッチ目のワンムーブが、クライミングに対する考え方だけではなく、『人生』そのものを変えてしまう一瞬だったから」
と、平山は振り返る。
「なぜなら、それまでのクライミングで感じたことのなかった、『自分がクライミングをしている意味』のようなものに、そのときたどり着いた気がしたからです。
あの瞬間までの僕のクライミングは、『自分が登りたいから登っている』というものでした。ところが、27ピッチ目を登り終えたとき、全く違う思いを抱いていたんです。自分以外の人たちの思いや幼い頃からの人生観の全てが、クライミングの判断の一つひとつには宿っている。そんな感覚を得られるようになっていた。
■「これで世界でも戦える力を得た」と確信できた
そこには、なぜ自分がサラテを登りたいと思ったのか、という問いに対する明確な答えがありました。この瞬間を味わうために、俺はこの岩に登りたいと思ったんだ、って。残念ながらオンサイトは成功しなかったけれど、みんなが納得できるひとつの『物語』を紡ぎ出すことができた、という感覚がありました」
27ピッチを終えて以降、『登る』ということの意味が、クリアになったと平山は続ける。例えば、翌日のクライミングでサラテの核心部に取りついたとき、彼は「力の出し方」を自分が身に付けていることを実感した。「未知」の壁を前にした際、それをどのように乗り越えるのか。「その能力がテクニックとして分かってしまったという感じ」だったと言う。
サラテでのオンサイトトライの後、彼はワールドカップで二度の総合優勝を果たしている。そうした大きな成果を勝ち取ることができたのも、27ピッチ目の経験があったからだと彼は語る。
「27ピッチ目のあのワンムーブを成功させたとき、僕は間違いなく『成長』したんです。そんなふうに登っている最中に自分の成長を実感したのは、クライミングを続けて来て初めての経験でした。ああ、これで世界でも戦える力を得た、とあのとき確かに思いましたから」
これを平山は「覚醒」と呼んだ。
彼は自らが抱えたサラテという「極地」に、最も美しいスタイルによってたどり着こうとするプロセスの中で、自身の内側に煮えたぎっていたクライミングという行為の「意味」をつかんだ。平山の表現する「覚醒」とは、言い換えればクライミングという行為によって、「生」の実感に彼が限りなく近づいた瞬間のことだとも言えるのだろう。
■日本に戻った後、3週間は放心状態だった
だからこそ、サラテを登り切ったとき、平山はこれまでに感じたことのない充足感を胸に抱いていた。2日間にわたるクライミングで日はすっかり落ち、空には数えきれないほどの数の星が瞬いていた。「登ること」と「生きること」が、今では彼の中で分かち難く結びついていた。
「次に挑戦したときは、もっとすごいスタイルで登れるはずだ」
と、平山は収まり切らない興奮の中で思った。
「そのときに感じていた心境は、クライミングを始める前の自分には全く想像もつかない境地でした。十分に分かっていると思っていたはずのものが、まだ何も分かっていなかったのだと知った。もっと先があったんだ、って。『限界』を規定しているのは自分自身なんだ、という思いが湧いてきましたよね。日本に戻った後は放心状態になって、3週間くらいは家の天井を眺めているような日々を送りました。まるでしばらくは天国にいるような心地でした」
平山にとってサラテでのオンサイトトライの試みは、「クライミング」という自らが人生をかけて続けてきたものの意味合いを変えた。その後、前述のように彼はワールドカップで二度の優勝を果たすが、あの一瞬で感じた強烈な感覚や境地は、後にも先にもそのときだけだった、という。
■「死力を尽くす」とはどのようなことか
「いろんな苦労もあったし、喜びの瞬間もあった。サラテの頂上には、自分がなぜあの場所を登りたいと思ったのか、という問いの答えがあったといまでも思っています。
僕はあのワンムーブによって、死力の尽くし方、というようなものを知った。『なぜクライミングをするのか分からない』という心境の中では、死力は尽くせない。何のために自分は登るのか。その理由が明確なとき、人は死力を尽くすことができる。
クライミング自体へのモチベーションはそこから深まりました。それは僕にとって、人生をどう生きるか、という問いとつながっています。力を出し切って生きるためには、『意味』を自分の中に作り出さなければならない。僕はサラテでそのことを学んだんです」
平山がサラテでの挑戦で得たもの――。
それは「死力を尽くすとはどのようなことか」を、壁での死闘によって得た実感としての理解だった。極地を目指すという行為のためには、「生きる意味」を自分の裡に作り上げなければならない。平山のサラテでの体験は、そのことを確かに伝えている。
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プロフリークライマー
1969年東京生まれ。15歳でクライミングを始め、10代の若さで国内トップに。その後フランスに渡り、ヨーロッパでトップクライマーとして活躍。1998年ワールドカップで日本人初の総合優勝を達成する。2000年2度目のワールドカップ総合優勝を飾り、年間ランキング1位に輝く。2010年クライミングジム、Climb Park Base Campを設立。2021年東京オリンピックでは、解説者として競技の魅力を伝える。現在は地域振興にも尽力し、埼玉県小鹿野町に小鹿野クライミング協会を立ち上げ、会長を務める。
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ノンフィクション作家
1979年東京生まれ。2002年早稲田大学第二文学部卒業。2005年『ぼくもいくさに征くのだけれど 竹内浩三の詩と死』(中公文庫)で第36回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。著書に『ドキュメント 豪雨災害』(岩波新書)、『豊田章男が愛したテストドライバー』(小学館)、『「本をつくる」という仕事』(筑摩書房)など。近刊に『サーカスの子』(講談社)がある。
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(プロフリークライマー 平山 ユージ、ノンフィクション作家 稲泉 連)
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