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「年間学費200万超」英語ペラペラであえて日本の大学進学…全国で続々新設「インター校」のメリット・デメリット

プレジデントオンライン / 2024年5月5日 10時15分

青島賢吾氏 - 撮影=YKProduce

現在、日本国内にインターナショナルスクールは107校ある。ここ5年間で20校の新設ラッシュ、プリスクールやキンダーガーテンは800園に達する。「プレジデントFamily」編集部が、学費が年200万円超のところもあるインターに入れるメリット・デメリットを専門家や卒業生に聞いた――。

※本稿は、「プレジデントFamily2024春号」の一部を再編集したものです。

■インターで学ぶメリット

その青年は、センスのいいビジネススーツを着こなして、颯爽(さっそう)と現れた。

小学6年生のときに世界ジュニアゴルフ選手権で準優勝し、「天才現れる」と話題をさらった青島賢吾氏。「アーノルド・パーマーカップ」(全米大学選抜VS.世界大学選抜)に世界大学選抜として出場するなどトップアマとして活躍し、今は大手外資系金融会社の東京支社に勤務する。

「プロゴルファーの道に進むという選択肢もありましたが、一つの世界だけじゃなく、いろいろな経験をしてみたいなと思ってビジネスの世界に飛び込みました」

そう語る賢吾氏は、父の仕事の関係で、1歳でハワイに、5歳でカリフォルニア州シリコンバレーにあるThe Harker Schoolに入学し、キンダーガーテンに通った。その後帰国し、西町インターナショナルスクール(東京都港区)に。

14歳で再びハワイに渡り、イオラニ高校、ウェイクフォレスト大学、UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)を経て、UCLA大学院に入学(現在休学中)。まさに文武両道を極めた学生生活を送った。

「好きなこと、得意なこと、子供の頃からずっと続けてきたことが評価されるのが海外のトップ大学の良さです。それはインターナショナルスクール(以下・インター)でも一緒です。学歴だけじゃなく、自分の個性や才能を伸ばしてくれます。中学受験をして勉強一本になるよりは、好きなことと両立できるインターへ、というご家庭も増えてきています」

こう語るのは、賢吾氏の父で、海外留学やインター進学を希望する親子に向けてアドバイスやカウンセリングを行う「FutureEducation」(会員制、東京都渋谷区)の代表を務める青島慶明氏だ。慶明氏はシリコンバレーで働いた後に帰国し、電子デバイスのプログラミングサービスを行う会社の経営者でもある。

青島慶明氏
撮影=YKProduce
青島慶明氏 - 撮影=YKProduce

「私はイギリスの高校で3年間学び、ハワイとカリフォルニアで過ごしたことで英語はできます。でも、どうしても越えられない“壁”を感じてきました。たとえば日本ではエレベーターの中では、黙っていることが多いですよね。アメリカでは逆に、同乗者がいたら話しかけないといけないんです。『今日のジャケット、すてきね。どこで買ったの?』などと声をかける。こうした文化の違いを肌で感じ取ることが、海外の人と一緒に学ぶことの大切なところです。ですから、子供には、もっと深ところで海外の人と交流できるようになってほしいと感じていました」(慶明氏)

そのためにも、大学からではなくもっと早い段階で留学するか、国内ならインターに通わせ、語学に加え異文化を学ばせたいと考えたという。

今、外資系とはいえ、日本企業を相手にするお堅い世界に身を置く賢吾氏は、文化の違いを感じつつ、どこか楽しんでもいるという。

「私は、いろいろな国の人と接しながら教育を受けてきたので、自分と違う価値観の人がいるのは当たり前なんです。その違いから学ぶことも多いですね」(賢吾氏)

日本国内にいながら異文化に触れられる場所、それがインターナショナルスクールだ。

■日本にインターが増えてきたワケ

近年、「インターの需要が増え、開校も相次いでいる」と語るのは、ウェブマガジン「インターナショナルスクールタイムズ」編集長の村田学氏だ。

「現在、インターは小中高で全国107校。約2万人の児童・生徒が通っています。プリスクールなどは800園に及び、5万人の幼児が通っています。平成で大幅に増え、令和になってさらに加速してきました」

1980年代までは、10年間で3、4校が新設される程度だったが、90年代の10年間には8校が新設された。2000年代には21校、10年代には26校が新設と一気に急増。さらに19

年から24年のわずか5年間で20校(※)が開校するなど、その勢いは増すばかり。

※関東近郊や大阪府内のほか、岩手、長野、山梨、石川、三重などに開校

最近開校したインターナショナルスクール(一部)
出所=『プレジデントFamily2024春号』

その背景には、当然だが、英語ができる子供に育てたいという親の希望がある。

「グローバル化によって英語の必要性が高くなったわけですが、それがビジネスの世界でより進んだのが、日産自動車にカルロス・ゴーンさんが社長としてやってきた1999年。社内公用語が英語になり、真っ青になった会社員がたくさんいたのです。その後、武田薬品工業をはじめそういう会社が増えました。自分が働く会社も、経営者や上司が外国人になったり、外資に買われないとも限らない。ビジネスパーソンは、英語でアウトプットできないと食いっぱぐれるという危機感を肌で感じているのです」(村田氏)

そこで、まず増えたのが、英語で保育や教育をするプリスクールだ。インターは文部科学省が認定する一条校ではない学校が多いため、義務教育期間中の小学校や中学校からインターへ、ということには抵抗のある親も、保育園や幼稚園ならハードルは低い。

「最近は、プリスクール卒園後の進学先が、お受験をしてミッション系の小学校へという流れから、インターの小学校へと変わりつつあります。インターの場合、1クラスが20人くらいで先生が2人つきます。子供一人一人の個性が尊重され、やりたいこと、伸ばしたいことをやれるのです」(村田氏)

英語の必要性を感じているのは、都会の富裕層やビジネスパーソンだけではない。瀬戸内海沿岸や富山県など、地場産業が国際化している地域もあり、英語の必要性の高まりに合わせる形でインターが開校しているという。AIC国際学院広島(広島市)やトリニティーインターナショナルスクール(富山市)などがそうだ。

とはいえインターの授業料は非常に高額。年間で200万円を超える例も少なくない。インター志望の家庭のすそ野拡大に一役買っているのが、祖父母たちだという。

「今の祖父母たちは、1人の孫に渡せるお金の額が大きいのです。またバブル期に海外旅行や留学、海外勤務や出張を経験した世代ですので、英語で学ぶことをポジティブにとらえているわけです」(村田氏)

一方で、受け入れるインター側の事情も変化してきていると、村田氏は言う。

もともとインターは、日本に滞在する外国人のための学校だった。そこに入れる日本人の数はごくわずかで、ほとんどが帰国生だった。それが変わったのは、90年代以降。経済情勢の一変と自然災害とが大きな影響を与えた。

「95年に阪神・淡路大震災が起きました。97年にアジア通貨危機が始まりました。2008年にはリーマンショックが、11年には東日本大震災がありました。そのたびに、外国人駐在員が日本を去っていったのです。東日本大震災の後、都内のインターナショナルスクールでは60%もの児童・生徒が帰国しました。これでは経営が成り立たないため、日本人の生徒を一定数入れる方向に切り替えたのです。そうすれば、経済危機や自然災害が起きても、ある程度の生徒数は確保できますので」(村田氏)

■インター後の進路とデメリット

かつて日本にあったインターの多くは、ブリティッシュスクールやアメリカンスクールなどイギリス系やアメリカ系だったが、近年はグローバル・インディアン・インターナショナルスクールやユーアイインターナショナルイスラミックスクールなどインド系、イスラム教系の学校も急増している。インド人やイスラム教徒が、日本に多く住むようになったからだ。加えて、日本人経営者が日本人のためにつくった日本系まで出てきた。

多様な人種の子供たちと教師の笑顔
写真=iStock.com/evgenyatamanenko
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/evgenyatamanenko

インターに入って以降の進学先についても、近年は多様化している。従来なら高校もしくは大学で海外の学校に入ることが普通だったが、「インターの小学部を卒業後、中学受験をして日本の私立中高一貫校へ進むというケースが増えてきました。大学は日本で、という人も多い。高校までインターに通ったうえで、東京医科歯科大学や岡山大学医学部など国際バカロレア選抜を採用する大学に進む人もいます。日本の大学は授業料が安いので、大学時代は日本でお金を節約して、最終学歴である大学院で海外に留学するというケースもあります」(村田氏)。

ただしデメリットもある。村田氏が具体例を挙げ説明する。

「インターに通っているお子さんに、『地域のお祭りに行った?』と聞いたら、『友達がいないから行きませんでした』と答えたんです。『友達は皆インターの子で、遊ぶときは渋谷です』と。インターに通うと世界的な視座を持つことができますが、自分の住む地域や身の回りのことへの関心が低くなる傾向があります。『カンボジアで孤児院を手伝いました』と語るお子さんは、日本にも貧困問題があることに気づいていない」

さらに、インターを出て海外の大学に入学できても、苦労は多い。

「インターの卒業生であっても、海外の大学に苦もなく馴染めるかというと、必ずしもそうではありません。アウェーの場でマイノリティーとして過ごすわけです。これは日本人だけではありません。アメリカ人の両親のもとに日本で生まれ、インターで学んだお子さんがアメリカの大学に入ったんです。でも1年でメンタルを病んで帰ってきました。ブロンドの髪で青い瞳。見た目は完全なアメリカの白人ですから、人種差別をされたわけではありません。それでも『アメリカは怖い。治安が悪い』と日本に戻り、日本企業で働いています」(村田氏)

慶明氏も、就職先という観点からこう説明する。

「海外の大学では、2年生くらいから地元の企業でインターンシップを経験し、そこで頑張って認められて雇ってもらうのです。ただ、卒業後1年間は特別に就労ビザをもらえますが、その後は改めてビザを取得する必要があります。企業側からすれば、外国人を雇うためにはビザの発給を弁護士に依頼しないといけません。そこまでしてでも欲しい人材でない限り、雇い続けてはもらえないのです」

慶明氏によると、インターで学ぶことに向かない家庭もあるという。

「小学校受験に失敗したから入れたい、といった親御さんがいます。そんな甘い考えでは通じません。またなかにはパスポートを持っていない、つまり海外に一度も行ったことのない子供を入学させようとした親御さんもいました。英語漬けで異文化の中で学ぶのですから、それ以前にまずは海外に行き、子供が合うか合わないかをみないといけません」

海外の学校同様、インターでは、ボランティアなど親の学校行事への参加がとても大切だ。親の役割はインターに入れることで終わるわけではない。子供の日本語力や日本文化への理解力を高めるよう努める必要がある。

慶明氏は、シリコンバレーで賢吾氏を育てていた頃、動画配信サービスを契約して日本のニュースやアニメなどの番組を見せるよう心がけた。またホームパーティーにはなるべく日本人を招くようにしたという。子供を国際人として育てるには、想像以上に親の負担が大きいことを覚悟しないといけないようだ。

とはいえ、インターで学ぶメリットは計り知れない。

「海外の学校同様にインターでの学びでは、正解に至るプロセスを大切にします。授業は児童・生徒によるディスカッションが中心。答えは一つではなく、討論しながら『自分はこう思う』と考えを発表していく。寝ている暇なんてありません。そのため自分の主張を発信できる人間に成長できますし、セルフプロデュースがうまい人間になます」(慶明氏)

また、教科学習以外の能力も要求され、一芸に秀でていれば高く評価される。

「昨年、ニューヨークのフォーダム大学に合格したお子さんがいます。絵を描いたら抜群に上手なお子さんなのですが、願書にそうした特技や長所を惜しみなく表現したところ、それが認められて、奨学金だけでなく寮に優先的に入る権利も獲得しました」(慶明氏)

インターと海外とで教育を受けた賢吾氏は、そのメリットについてこう語る。

「私は、明日からどこか違う国に住まないといけない、という状況になっても、その新しい国で仕事を見つけられます。英語と異文化を学んだ経験は、可能性を無限に広げてくれます。自分に子供ができ、その頃に日本に住んでいたら、やはり子供はインターに入れたいですね」

真の国際人として成長するためには高い壁があるが、インターでの学びはそれをクリアする第一歩となるに違いない。

インターナショナルスクールタイムズ編集長 村田 学氏

Future Education代表 青島慶明氏

青島賢吾氏 西町インターナショナルスクール出身、UCLA 卒。ゴルフのトップアマ。現大手外資系金融会社勤務

(プレジデントFamily編集部 菊地武顕=文)

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