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「ウクライナ語で話すと殺される」言語による分断はなぜ加速するのか?

集英社オンライン / 2022年6月29日 13時1分

戦時下のウクライナで言語の分断が進んでいる。なかには「ウクライナ語を使ったために殺害された」とのケースもあるという。2011年『日本を捨てた男たち』 (集英社)で開高健ノンフィクション賞を受賞したノンフィクションライター・水谷竹秀が家族を亡くした遺族へ取材した。※『日本を捨てた男たち』(集英社)

「遺族の気持ちを考えるとロシア語は使えない」

「ウクライナ語で話をしていたから、彼女の夫は殺された可能性があります」

4月下旬、ウクライナの首都キーウ近郊の街、ブチャを離れる際、通訳者のリュバさん(28歳)が車中で思い返したように言った。リュバさんが口にした「彼女」とは、ブチャの路上で出会ったイリナさん(48歳)のことだ。ロシア軍に街が占拠されていた3月上旬、イリナさんの自宅は砲撃を受けて粉々に破壊され、瓦礫の山と化していた。


自宅が破壊されたイリナさんは亡き夫について語った

その場には夫(40歳)と父(72歳)も一緒にいて、自宅に押し入ってきたチェチェン兵たちからはこんな尋問を受けた。

「ここにナショナリストはいるのか?」

イリナさんは否定したが、夫だけがチェチェン兵に頭部を撃ち抜かれ、殺害された。イリナさんはこう回想する。

「私はチェチェン兵とロシア語で話をしていましたが、夫はウクライナ語を使っていました」

リュバさんに言わせれば、これが殺害の動機になったのではないか、というのだ。

「ウクライナ語を使ったからナショナリストと思われたのかもしれません」

ウクライナ語かロシア語か––––。

ウクライナではウクライナ語を母語とする人が全体の7割、ロシア語を母語とする人が3割ほどいる。ポーランドやオーストリアの影響が強かった西部ではウクライナ語が優勢で、ロシアに近い東部や南部ではロシア語が優勢だ。

両語はスラブ語派に属し、文法や語彙に共通点は多い。だが、どちらか一方しか理解できないと、もう一方を完全に理解するのは難しいと言われる。

多くのウクライナ人は両方の言語を話せるが…

歴史を紐解いてみると、18世紀半ばから20世紀半ばにかけて続いたロシア帝国の支配下では、ウクライナ語の使用禁止令が何度も出された。弾圧が続く中で、ウクライナ語を用いることは反革命的行為とまでみなされた。

こうした歴史的背景が現代社会にも暗い影を落としており、両方の言語を話せる多くのウクライナ人にとっては、その選択如何が、今回のような戦時下では死活問題に発展したということだ。

特に東部のドンバス地方では、「ロシア語話者がウクライナの民族主義者たちに迫害されている」とロシア側は主張し、それを口実に同地方での戦闘を正当化してきた経緯がある。「単に言葉を選ぶだけ」に聞こえるかもしれないが、日本人が考える以上に繊細な問題なのだ。

ロシア軍の砲撃で息子を失ったウクライナ人の遺族に取材を申し込んだ時のことである。リュバさんからは事前に、こう告げられていた。

「そのご遺族にはウクライナ語とロシア語のどちらでコンタクトを取っていたのか確認していただけますか?」

第三者を介して遺族を紹介してもらう段取りだったのだが、その第三者が遺族にいずれの言語で連絡を取ったのか知りたいという。キーウではロシア語もかなりの割合で使われていたから、確認が必要だったのだ。

「特に最初のアプローチに何語を使うかは重要です。それによって信頼を得られるかどうかが変わってきますから」

尋ねてみると、その第三者はウクライナ語を使っていた。もしロシア語で取材を申し込んでいたら、相手に不快感を与えていたかもしれない。

ブチャからさらに西へ進んだ街、ボロディアンカは、ロシア軍による空爆被害が甚大だった場所だ。中心部に建ち並ぶ高層マンションは真っ黒焦げで、棟によっては縦に亀裂が入ったように大破していた。

空爆されたボロディアンカの高層アパート

ロシア語アレルギーが進んでいく中で…

この現場付近に住むオレーナさん(44歳)は、空爆で父親を失った。爆風の影響で自宅も損壊し、台所は食器などが散乱してぐちゃぐちゃになっていた。オレーナさんは、ロシア軍に対する怒りを、こう表現した。

空爆で自宅が損壊したオレーナさん夫妻

「ロシア語で話を聞くと嫌になります。映画を観ている時に、ロシア語が出てくると不快です。ロシア関係のニュースは10秒も観ると我慢できなくなります」

特に被害者の遺族は、ロシア語に対する「アレルギー」が今まで以上に増幅している。

キーウを中心に「脱ロシア語」への動きが加速したのは、2014年のクリミア半島併合がきっかけだ。

ロシア軍による全面侵攻が始まる前の今年1月半ばには、ウクライナ語以外で書かれた広告を禁じる法律が施行された。そして戦争勃発によって、キーウではロシア語の使用頻度が明らかに減ったと、リュバさんは指摘する。

「カフェや外出時の人混みで聞く言葉は圧倒的にウクライナ語が増えました。戦争前は半々ぐらいだったのが、5月に入ってからは明らかにロシア語が減り、今は9割ぐらいがウクライナ語ですね。

友達からスマホに届くメッセージは全てウクライナ語に変わりました。私も知らない人と話をする時は、ウクライナ語にしています。被害者の気持ちを考えるとその方が良いです。戦争が始まって以降、ウクライナ語かロシア語かの選択はとても大事になっています」

「ロシアの書籍輸入禁止」と「ロシア音楽の演奏制限」

リュバさんの母は、ロシアのシベリア地方出身で、20代後半にウクライナへ移住した。

通訳者のリュバさん

「母はウクライナ語もできますが、発音はロシア語っぽいです。今回の戦争を機にウクライナ語に切り替えようかなと言っています。ネットで映画を観るときは、ウクライナ語の翻訳版をわざわざ探していますね」

こうした一般市民の意識に拍車を掛けるように、ウクライナの最高会議(議会)は6月19日、ロシアの書籍輸入禁止と、公共の場でのロシア音楽の演奏を制限する法案を相次いで可決した。ゼレンスキー大統領の署名を経て成立する見通しだ。

言語はその国民のアイデンティティーを形作る重要な要素の1つだ。ゆえにウクライナ語の使用は、自国を守りたい、あるいはロシアへの抵抗を示す意思の現れである。

しかし、ロシア語を排除する動きが「国を挙げて」となると、話は変わってくる。なぜならロシアは「ロシア語話者を守る」のを口実に攻撃を正当化してきたため、脱ロシア語が政治的な動きに発展すれば、それはロシアに新たな攻撃の理由を与えてしまうからだ。

ウクライナ語かロシア語かをめぐる問題は実に複雑である。

取材・文・撮影/水谷竹秀

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