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福留孝介、メジャー球団からの53億円提示に「えっ、何で?」初年度に経験した“練習できないストレス”

日刊SPA! / 2024年3月2日 8時52分

「とにかく初球は何でもいいから振ってやる。そんな思いで打席に入りました」

相手先発、ベン・シーツから放った打球はセンターの頭上を越えるツーベースヒットとなる会心の一撃だった。さらに見せ場は9回に訪れる。

ドジャース時代には不動のクローザーとして鳴らしたエリック・ガニエから同点3ランホームランを放ったのだ。

「初球、2球目とボールが続いたので、その時点で、真っすぐしか待たないと決めました。ガニエはチェンジアップのイメージが強いけど、『チェンジアップならゴメンなさい』のつもりでスイングしました。打った瞬間、『入ったな』とわかりましたよ。ダイヤモンドを回っている間、ちょっと興奮状態でしたね(笑)」

あえて日本流を貫くこと。あえて狙い球をストレートに絞ること。「ここぞ」の場面で腹を括れる福留の胆力が好結果をもたらすことになった。

◆日本時代には想像もできなかった「練習できないストレス」

メジャーデビュー戦で見事な活躍を見せた。4月は打率、出塁率ともにチームを支える好成績を記録したものの、5月以降、成績は徐々に降下していった。一体、福留に何があったのか?

「相手に対応されてきたということもあったし、(ルー・ピネラ)監督の方針で、相手が右投手のときしか試合に出られないという起用法にとまどったこともあったし、さらにストレスだったのが自由に練習できないということでした」

監督の方針として、「試合前に過度な練習をするな」という教えがチームに徹底していた。もちろん、試合に支障があるようなハードな練習をしていたわけではない。けれども、福留流調整スタイルはピネラ監督にとっては「やりすぎだ」と映っていた。

「お前は練習をするためにアメリカに来たのか?」

面と向かってそう言われればそれ以上何も言えなかった。

「朝、ランニングをしていたら監督から『やめろ』と命じられました。もちろん、表向きは監督指令に従ったけど、それで結果が残せなければ自分に返ってくる。だから監督が来るよりも早くグラウンドに出たり、違う場所で走ってから行くようになりました」

開幕直後は、スプリングキャンプでの練習の成果が発揮され、結果を残すことができた。しかし、シーズン開幕後は思うように練習する時間が取れない。日本時代にはまったく想像もできなかった「練習できないストレス」――。メジャー初年度は意外な洗礼とともに始まった。

【福留孝介】
1977年、鹿児島県生まれ。1999年ドラフト1位で中日に入団。’07年12月カブスへ移籍。’11年7月インディアンス、’12年、ホワイトソックスへ。同年途中ヤンキースとマイナー契約。’13年、阪神、’21年、中日に復帰。’22年、現役引退

撮影/ヤナガワゴーッ! 写真/時事通信社

【長谷川晶一】
1970年、東京都生まれ。出版社勤務を経てノンフィクションライターに。著書に『詰むや、詰まざるや〜森・西武vs野村・ヤクルトの2年間』(インプレス)、『中野ブロードウェイ物語』(亜紀書房)など多数

―[サムライの言球]―

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