日本人科学者が一変させた「物質の正体」の知識 長岡半太郎が「土星モデル」を提唱できた訳
東洋経済オンライン / 2023年12月22日 11時0分
コペルニクスやガリレイ、ニュートン、ダーウィン、アインシュタインといった科学者の名前は、誰もが知っている。そして近代科学は16世紀から18世紀までにヨーロッパで誕生し、19世紀の進化論や20世紀の宇宙物理学も、ヨーロッパだけで築かれたとされている。
しかし、科学技術史が専門のウォーリック大学准教授、ジェイムズ・ポスケット氏によれば、このストーリーは「でっち上げ」であり、近代科学の発展にはアメリカやアジア、アフリカなど、世界中の人々が著しい貢献を果たしたという。
今回、日本語版が12月に刊行された『科学文明の起源』より、一部抜粋、編集のうえ、お届けする。
科学者になった武士の息子
明治維新後、何人もの日本人科学者が近代の物理学や化学の発展に重要な貢献を果たした。しかしある一人の人物はさらに先へと歩を進め、物質の正体そのものに関する我々の知識を一変させる。
その人、長岡半太郎も、この時代のほかの多くの日本人科学者と同じく武士の息子だった。1865年に生まれ、幼い頃からヨーロッパの科学に接していた。父親は明治維新を支え、天皇の命を受けて1871年に岩倉使節団の一員としてヨーロッパに渡った。
岩倉使節団の目的は2つあった。1つめは各国との外交関係を発展させること、2つめは、日本の改革をさらに推し進めるためにヨーロッパの科学技術に関する情報を集めること。
ヨーロッパで目にしたものに感銘を受けた長岡の父は、息子のためにイギリスで科学の本を何冊も購入して日本に持ち帰った。
そんな父親に背中を押されて長岡は1882年、東京大学に入学して物理学を学びはじめた。そこから長岡は揺るぎない経歴を歩んだ。
1893年から1896年までドイツとオーストリアで学び、ヨーロッパを代表する何人もの物理学者と出会った。そしてこの間に研究者として大活躍した。
この時期の物理学が国際的性格を帯びていたとおり、長岡は科学論文を英語・フランス語・ドイツ語・日本語で書いた。
しかし、ヨーロッパで進められている科学研究をただなぞるだけでは満足できなかった。近世と同じく、日本が科学研究の世界を牽引できることを証明したかったのだ。
「他人の研究の後を追ったり、外国から学問を持ち込むのに人生を賭けたりするつもりはなかった」と語っている。
さらに内輪では、物理学を研究する動機の裏には競争的なナショナリズムがあると打ち明けていた。ある友人には手紙で、「あらゆる面でヨーロッパがこれほど秀でている理由など何一つない」と伝えている。その友人とは誰あろう、物理学者の田中舘愛橘である。
長岡が論じた原子の構造
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