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郵便番号はあるのに実体がない「幻の地名」の正体 廃れて消えた町もかつて誰かの故郷だった

東洋経済オンライン / 2023年12月31日 20時0分

無人となっても「町名」は残っている

ところが最盛期に存在した町名は、実は現在も行政字名として残っている。それぞれ「鹿島」を冠して鹿島明石町、千年町(図の「千歳町」は誤り)、錦町、宝町、富士見町、緑町、栄町、弥生町、代々木町、春日町、北栄町、常盤町、白金の計13町で、かなりの部分が水面下に没した現在の人口はいずれも0だ。

それでも郵便番号が7桁になった時点には少数ながら住民がいたためか番号は割り振られ、明石町は068-0662、千年町が0663、錦町が0664、宝町が0665など(以上下4桁のみ)と、現在でも郵便番号検索をすると当たり前のように出てくる。

無人になった後で実際に現地を訪れた。建物はすべて撤去されていたが土台や一部の電柱、橋の残骸などは残っており、かつての町の様子をかすかに想像することはできる。

故郷を失う寂しさ

石炭を運び出すために敷設された三菱大夕張鉄道大夕張駅の裏手にはこの地域の子供が通った鹿島小学校があり、最盛期には2000人もの児童が通っていたという。1学年あたり7~8クラスのマンモス校(今ではこれも懐かしい響きだ)である。

無人の学校跡には記念碑が建てられ、「太古の森をきりひらきうもるる宝かえさんと力よほまれよ血のひびき」という、炭鉱町の学校らしい校歌の一節が刻まれていた。

碑の傍らにはノートが置かれ、ここを久しぶりに訪れた住民が記した「古郷はどんな状況でも心の中に生きています。夕張、大夕張、ありがとう。私の原点です」という言葉は忘れられない。故郷を失う寂しさは体験した人でないと本当には理解できないのだろう。

その後で図書館へ行って往時の住宅地図を閲覧した。その時のコピーが手元にある。昭和59年(1984)の図で閉山後ながら建物は多く、町の体裁は保たれていた。

これによれば千年町駅前には夕張千年郵便局、鹿島駐在所、相馬屋旅館、ちとせ板金塗装、双葉食堂、その他何軒かの商店や診療所などさまざまな施設が建ち並び、さらに駅の西側には妙法寺、願正寺、大聖寺、本覚寺と各宗派4つの寺院が軒を接していた。それぞれが炭鉱町の日常を支えていたのである。

「幻の地名」は福井にも

さて、福井県を流れる九頭竜川(くずりゅうがわ)の上流部には昭和43年(1968)に九頭竜ダムが完成した。当初は電源開発目的で、その後は伊勢湾台風で被災した九頭竜川流域の防災に力点が置かれている。

ダムから上流部はほとんど人家がないが、かつては14の集落があり、多くは江戸時代からの長い歴史を持っていた。貯水面積は8.9平方キロで、集落の一部は水没を免れたものの、単独では生活が成り立たないこともあり、結局は500戸前後(資料により相違あり)が水没または撤去、補償を得て移転した。

無人境を走る湖畔の国道158号と付近の県道に架かる大谷橋(おおたにばし)、箱ヶ瀬(はこがせ)トンネル、面谷橋(おもたにばし)といった名称はいずれも水没した集落の名前である。郵便番号の設定された集落とない集落が混在しているが、設定時期にドライブインなどを含む家屋の有無が影響したのだろうか。場合によっては夏だけ人が戻る荷暮(にぐれ)のような集落もある。

いずれにせよ集落が姿を消した今、地名は「帳簿上」の存在に過ぎず実体はない。地図上には表示されず、その郵便番号を記入して手紙を出す人もいない。まさに幻の地名である。

今尾 恵介:地図研究家

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