アングル:85年前の金メダリスト、日韓和解を願った五輪精神
ロイター / 2021年7月14日 18時37分
[横浜市 14日 ロイター] - 1968年のメキシコシティ五輪で表彰台に上った陸上米国代表のトミー・スミスとジョン・カルロス両選手は、ともに黒手袋をはめた拳を高く突き上げ、黒人差別に抗議の意思を示した。歴史に名を刻んだこの「ブラックパワー・サリュート(敬礼)」のおよそ30年前、五輪の舞台で無言の抗議をしたある選手の姿が朝鮮人の胸に刻み込まれていたことは、世界的にあまり知られていない。
1936年のベルリン大会、日本代表として男子マラソンに出場した孫基禎(ソン・ギジョン)選手は表彰台の頂点に立った。国旗が掲揚されて「君が代」が流れる中、孫氏は月桂樹を手に持ち、胸元の「日の丸」を隠した。
耐えられない屈辱だった━━日本統治下の朝鮮半島で生まれた孫氏は自伝にそう記している。
帰国した金メダリストを待っていたのは、この勝利によって朝鮮人の民族意識が煽られることを懸念した日本政府や朝鮮総督府による監視だった。自伝には、サーベルを持つ警官が右側に立ち、私服警官に左腕をつかまれる帰国後の写真が載っている。
東京の大学に進学した孫氏は、陸上競技を続けることが許されなかった。日中戦争が激化する中、その知名度を利用され、朝鮮人の学徒志願兵募集の演説に駆り出された。 晩年、当時を振り返った孫氏はこの演説が「人生で一番つらかった」と語ったという。
しかし、孫氏は自身が受けてきた抑圧への「恨(はん)」を表に出さず、「オリンピズム(五輪精神)」であるスポーツを通した平和の実現、とりわけ日本と韓国の関係改善に心を砕いていたと、神奈川県横浜市に住む長男の孫正寅(ソン・ジョンイン)氏は言う。「日本と韓国の過去を考えながら、こういう苦しみを乗り越えたうえで、これから仲良しで未来をともに歩かなくちゃいけない」と、正寅氏は話す。
孫氏の思いと裏腹に、日韓関係は徴用工問題などを巡ってかつてないほど悪化している。その中で孫基禎氏のメッセージはこれまで以上に重要な意味を持つと、2年前に孫氏の評伝を出版した明治大学の寺島善一名誉教授は言う。融和を促そうとする孫氏の働きかけをもってしても、日本は彼を扱いにくかったのではないかと指摘する。
韓国では国家的な英雄だが、日本ではそれほど知られていない。マラソンが人気競技のこの国で、ただ1人の男子金メダリストであるにもかかわらず、だ。
東京・霞ヶ丘町にある日本オリンピックミュージアムの展示の中に、孫氏は2回登場する。1つは日本の歴代金メダリストのコーナーに、もう1つは1988年のソウル五輪で使われた聖火のトーチの横に、最後のランナーだったと小さく説明書きがある。よほど洞察力が鋭くないと、その間に横たわる断絶に気づかない。
「日本は孫基禎の存在を無視している」と、寺島氏は言う。孫氏の評伝を書こうと思ったのは、日本の保守政治家の間で歴史修正主義的な考えが広がる中、イデオロギーや思想ではなく事実を伝えたかったからだと話す。
<「アジアの優勝」と祝電>
日本の統治が終わると、孫氏は韓国籍を取得した。自身は常に政治と距離を置き、機会を見つけては人々に「オリーブの枝」を差し伸べた。1951年のボストンマラソンで日本人の田中茂樹選手が優勝すると、「田中くんの優勝はアジアの優勝」とたたえる祝電を送った。かたくなにハングル文字でサインをしていた孫氏だが、この電報には日本読みの「ソン・キテイ」と署名している。
孫氏にとっては、もしかすると悔しさもあったかもしれない。 孫氏のコーチのもと、韓国勢は前年の同大会で1─3位を独占した。しかし、朝鮮戦争の勃発で51年は出場がかなわなかった。日韓の過去や国境にとらわれず、アジア人としての友好連帯を考えていたからこそ出た言葉だったのだろう、と長男の正寅氏は考えている。
正寅氏は、父親が密かに願いつつも実現しなかったことがあったと明かした。ソウル五輪のマラソンで日本人選手がメダルを取った場合、古代ギリシャのコリント式かぶとの複製を贈ろうと考えていたという。ベルリン大会のマラソン優勝者に副賞として渡されるはずのものだったが、孫氏が実際に手にしたのは50年後だった。現物は今、ソウルの博物館に所蔵されている。
日韓が2002年のサッカー・ワールドカップを共催することが決まると、孫氏は強く成功を願った。「日韓の過去を清算し、未来志向的にするスタートポイントになる」という父親の言葉を聞いた正寅氏は、大会にボランティアとして参加することを決めた。孫氏はその数か月後、90年の生涯を閉じた。日韓の融和ムードは長く続かなかったが、正寅氏は「親父は幸せに人生を全うした」と話す。
このところの日韓関係の冷え込みは、五輪にも影を落としている。2018年に韓国で開かれた平昌冬季大会と今回の夏季大会、いずれも竹島(韓国:独島)の表記を巡って論争が起きた。この島は韓国が実効支配し、日本も領有権を主張しており、たびたび両国で議論になってきた。
しかし、孫氏が願った「オリンピズム」は今に受け継がれていると寺島氏は語る。女子プロテニスの大坂なおみ選手が人種差別に対して取った行動や、平昌五輪で戦った女子スピードスケートの小平奈緒選手と李相花(イ・サンファ)選手が試合後に見せた絆の中に、その精神は息づいていると話す。
正寅氏は、父親の生前の言葉を振り返る。「戦争は勝っても負けても、弾に当たれば死ぬんだよ。だけどスポーツは勝っても負けても終わったら友情を分け合う」
(金昌蘭、大澤優花 編集:久保信博)
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